2011年12月15日木曜日

野球部的国民→ニュートピア到着→良い表情の子供たち→褒めあうこと→罰する事→カマウさんとの話→マラリア注意


11月29日

7時半起床。


朝ごはん+昨日の残りのポテトを食べて8時45分に宿出発。


バス停に着くと、予定していたLinkバスより先に出発するといってきたバスがあったのでそれにのるが、2時間半ほど出発しない・・・


退屈なので外を眺めていていて気がついたこと。

ウガンダ男性のほぼ全員が坊主頭。


理由はおそらく、縮れ毛なので伸ばすと収拾がつかなくなることと、虱などの対策なのだろうと想像されるのだが、(もしくは単純に流行の髪型なのかもしれないが)それにしても視界に入る男性がみな坊主頭だと、国家規模の野球部に見えてくる。


いったんそう思い始めてしまうと、筋肉ムキムキの強力スラッガー、線は細いがバネはありそうな盗塁王、運動は駄目だが知的な監督タイプ、さらにはこれもかなりの頻度で見られる女子部員・・・・とぼんやりどうでもよい事を考えてしまう。暇なので・・・


それ以外に気がつくのはオッサン同士が小学生、もしくは子犬のようにじゃれあう。

知り合いを見つけると後ろからそっと近づいてくすぐってみたり、背中を突付いて逃げていくという、ピンポンダッシュならぬつっつきダッシュなど。

良い大人が・・・と思う一方で、大人でも思いっきりじゃれ合えるのが微笑ましく感じる。


11時15分、ようやく満席となり出発。

出発といっても、カンパラ市内を抜けるまでが一苦労・・・都会特有の大渋滞。

カンパラを抜けるだけで1時間近くかかってしまった。


カンパラを抜けると緑いっぱいのウガンダ入国以前に想像していた穏やかな国の表情が一面に広がった。


のんびりとした景色の中をひたすらバスは走っていくのだがニュートピアまでの道のりは思ったよりも遠いらしく時間がかかるようだ・・・旅中にいつも思うのだが、バスに乗り込んでから長い人は5時間以上もトイレ休憩無しに過ごしているが誰一人として「トイレに行きたい・・・」などとは言わない。


僕なんかは長距離バスになるといつも(トイレに行きたくなったらどうしよう・・・)と不安に感じてしまうのだが、他の人は平気なのだろうか?もしかしたら膀胱の作りがダムのようになっているのかもしれない。


16時半ごろ、ようやくニュートピア最寄の場所に近づいたらしく「ニュートピアへはここからまっすぐ歩いたところだ」と親切に教えてくれる。


しかし、ホームページでは道路沿いにニュートピアの看板がある。とあったのに看板が無い・・・不安に感じながらも地元の人に聞くと「この道をまっすぐだ!!」と自信を持って教えてくれる。


ちなみにバス代は15000U。(450円ほど)(ちょっと高かったかも・・・と思ったが後で確認するとLINKバスは18000ほどするらしい)

ニュートピアまでは大通りから田舎道を10分ほど。ニュートピアの敷地に入る前から、雰囲気がとてつもなく田舎になってくる。


個人的には好きな感じだ。


敷地に入ると、子供たちが「Most Welcome!!」と迎えてくれた。

「僕が荷物を持ってあげる!!」など明るく元気な声で言ってくれた。

時折、孤児院においてある、やや暗い感じというものが全く感じられないのは、ここの活動が上手くいっているからか、自然に囲まれているからか。


なんにしろ良い雰囲気だ。


夕礼を兼ねて僕たちを歓迎して集合してくれたので、自己紹介をする。

その後、今学期の歌である「幸せなら手を叩こう」を日本語(フリ付きで)で歌ってくれた。

その後ウガンダ国歌と英語の歌詞のニュートピアの効果を歌ってくれた。


みな凄く元気でよい。


その後、ニュートピアの基本方針である3つの柱を声に出して確認し、最後ににほんごで「ユートピアは新しい未来を作ります」といっていた。


すでに通いの子供たちは自宅に帰宅したようで、今いるのは寄宿組の24人。

6歳から14歳の子供達と、数人の16歳前後の子供達。


ニュートピアに訪れるまでここは”孤児院”であると思っていたのだが、正確には孤児院ではなく、学校(認可は無い)兼、寄宿舎のようである。

通いの子供は基本的に家族がおり家で生活できるが、お金はほとんどなく通常の学校に通う事が出来ないため学費の安いニュートピアに通っているようだ。


寄宿の子も一部には肉親の全くいない子供もいるが、大多数は、母子家庭、祖父母に育てられているうえ、生活するのも貧しすぎる子供たちが教育機会を得るためと人間らしい生活を送るために住み込みで生活しているらしい。


大きい子たちは英語がとても上手(日常会話はほぼ英語、もちろん僕らの英語力より数段上)。小さい子はまだあまりわからないようだがそれでも僕らの英語力とあまり大差なかったりする。

まず、簡単な説明(ほぼ無いに等しかったが)を現在一番長く滞在しているトブさんにしてもらいシャワーを浴びさせてもらう事に。


シャワーといっても4ℓの水と1ℓの熱湯の入った魔法瓶を渡されてのバケツシャワー。

ここでの生活中はこういう形でのシャワーになるようだ。(きれい好きのアサは大丈夫だろうか?と若干不安になる)


そしてユートピアの活動資金の足しにするためにボランティア(現在はトブさん、ヒトミさん、ケンさんの3名)が作成しているらしいお好み焼きを購入する。700U。(20円)


お好み焼きといっても具はトマトだけなので正確にはチャパティと言ったほうが良いのだろうが久々の味と食感は美味しかった。


晩ご飯は、住み込みの子供たちとボランティア、カマウさん、シルビアさん(奥さん)、住み込みの職員チャールズ(先生)、シシ(先生)、マイク(用務員)みんな揃って食べる。

食事前には感謝の一言を述べ合うようで、「~君が薪を拾ってきてくれた」「~ちゃんが窓を閉めてくれた」などと良かったところみんなの前で褒めあう。


しかし、ここニュートピアは昭和の時代の学校のような厳しさも同時に持っており、悪い事をした子供達には”食事抜き””正座(ひざ立ちだが)”などの罰もある。

カマウさんの考えでは貧しい家庭の子供たちは1日1食のことが当たり前なので、ニュートピアの子供だけが当然のように3食、たべられるのはおかしいとの事だ。


晩ご飯のメニューはウガリ(ポーション)と野菜のスープ。シンプルだが美味しい。


食後、カマウさん、トブさんたちとお茶を飲みながらお話しする。

元保育士のカマウさんは孤児院を立ち上げるため25年ほど前に初めての海外旅行でケニアに訪れたらしい。


ケニアのスラムで孤児院を始めた後、12年後、今度はウガンダでニュートピアを始めたらしい。


今までにも大変な事は多かったようで強盗に入られ全員縛られ、全財産持っていかれたことや、日本で”ニュートピアに寄付を”という名目で募金を募った人がそのお金を持逃げしたりと様々な苦労と共に現在の生活があるようだ。


今回僕らは夫婦と言う事で個室まであてがわれる。

ありがたい。

蚊が非常に多く蚊帳の中に入って眠る。

マラリア感染者が今までにもけっこう多いようなので気をつけなければ。

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