2011年12月16日金曜日

スケールの大きな遠足のおやつ→先のことを考えない選択→大雨に震える子供たち→ニュートピア生還→体罰について→カマウさんの昔話


12月6日
6時起床。

朝ごはんは久々に子供たちと共にポリッジのみ(カマウさんの部屋に入ることの出来る人数が限られており今日は違う人が食べる順番なので)。

今日は遠足で子供たちを引率してしっかり山を登らないといけないのでポテトチップスでエネルギーを補充する。

7時半集合予定であったのだが生憎の曇り空のため遅刻者多数・・・。
その代わりに「明日あなた達は着てはいけない!!」としっかり念を押されていた通いのちびっ子が間違えてきてしまった・・・・のでジュニアたち寄宿の残留組とニュートピアで留守番することに。

ちなみに風邪を引いているアサも留守番。

8時近くになって遅刻の子供たちがやって来た。
その手を見ると巨大なジャックフルーツや槍のようなサトウキビ丸々一本。
なかなかスケールの大きいおやつである。

通いの子のグループ分けをしたあといよいよ出発。
僕はジャックフルーツ、ボール、フリスビー、カメラ当番。

本日の天気はどんよりとした雲が漂い、いかにも雨が降りそうなのだが出発。
出発して30分ほどで小さな村(シンバ村)に到着。

村人も挨拶してくれる。
しかし、雲行きがかなり怪しくなる・・・大雨をもたらしそうな黒雲がやってきて、カマウさんが子供、先生たちに中止か続行か意見を問う。

が・・・満場一致で続行。


先のことなど考えないのか・・・・。


さらに歩き始め、途中獣道を縦横無尽に歩く。
45分ほどで山の麓に到着。
そこから急斜面を登る。

足場が悪く大人でも苦労する中を子供は元気に登っていく。
坂道を登る事15分、振り返ると壮大なパノラマが。

しかし、前方からは雨雲がやってきて豪雨をもたらしてきた。

カメラを守るために合羽を着込む。
子供たちが濡れないように木の下で雨宿りしようと試みるもののまったく意味をなさず皆ずぶ濡れに・・・

想像以上の雨になすすべなく木の下で6グループほどに別れ待機する。

僕は10人ほどの子どもを任せられたので、着ていた合羽をテントのように広げ全員に「Welcome my House!!」と声をかけ、ガタガタ震える子供たちの気力が衰えないようにみんなで歌うことに。
日本の歌を中心に7曲ほどうたう。

しかし、雨は弱まらず、逆に子供たちが弱ってきた・・・これ以上雨に打たせるのは危険と言う事で、カマウさんが最終決定し、雨の中少しずつ下っていく事に。

体力の低下している子供らの荷物を引き受け降りていく。
ミッチーさんやクリは子供をおんぶ、日本人、先生みんなでちからをあわせて子供らを守る。

地面はぬかるみ川のようになっている。

危ない箇所は大人がサポートしながらゆっくりと下っていく。
しかし先頭を歩いていたカマウさんたちが途中で道を間違える・・・・体力的に引き返す事は難しいとの判断で強引に突破する。

ぬかるむ坂道に足を取られながらも子供を手渡しで麓へと連れていく。

ようやく危険な箇所を越え、最後のラストスパート、震える子供たちを励まし、抱っこしながら無事ニュートピアへ戻る。

そして、すぐさま食堂でお湯を沸かしみなで暖をとる。

クッキーを分けるが通いの子供も一緒になったため足らず・・・誰が食べたのかもわからない。

ジャックフルーツとサトウキビも食べる(ここで食べるなら背負っていかなくてもよかったな・・・)

ようやくみんなの表情も緩む。
小さい子供たちが暖をとるなか、お兄ちゃんたちは自分達も疲れている中をちびっ子のためにお湯を沸かすなど働く。

その後、レゴなどをして昼まで過ごす。

そして終業式ではないがお別れ式(最終学年の子供たちはこれでニュートピアとお別れになるので)。
お正月にパーティーをするらしく、卒業生も招待していた。

午後はヤギの散歩、2時間以上7人の子どもに囲まれながらくすぐり遊びなど、体力的にキツイなか水汲みも。

夕方にカリバリオ村に買い出し、揚げたてのサモサは中身がおかゆという斬新さだが久々の揚げ物でけっこう美味しい。100U(3円)

マイクにここらの名物バナナ焼酎を買ってきてもらう9000U

晩ご飯は豆のスープ。
食後、議長のリアが中心となり、冬休みの日課を決める。
以前まで行っていた朝5時半からのムチャカムチャカはマラリア蚊が朝方にたくさんいる、寒いからなどの理由でカットに。

会議の後半からカマウ部屋でお酒を飲む事に。会話しながら。話題は体罰について。

この点についての僕の意見は、「体罰を事情を省みずルールとして”完全に禁止”としてはいけない」というものだ。

もちろん口頭で説明教育していくのが教師としての仕事であるし、体罰を用いなければならないのは、口頭で説明できない教師の力不足と思っているので、体罰無しで教育現場で働くつもりだが、何事にも例外はある。
”子供が教師を殴った”、”人間として行ってはいけないレベルでの行為を子供がしてしまった”という場合においても体罰は絶対禁止であるとは僕は思わない。

まぁ、これは日本での話し。
ことウガンダにおいてだが、ニュートピアにおいては実際に体罰は存在する。というかけっこう存在する・・・。

これにたいしての僕の意見だが、基本は、言葉でわからせる事が出来るのであればそうすべき。
ただ、日本と比べたら少し体罰を行う規制のハードルを下げても良いのではとも思っている。
その理由は、日本という完全に平和な世の中ではないアフリカの台地の中で、ニュートピアの子供だけが保護されて育つと言う事は、野性のライオンに餌を与え続け、狩をする能力を無くしたうえで野性に放す時と同じ弊害が出かねないからである。

平和で親切なライオンが幸せに生きていけるほど世界はやさしいわけではない。ので、アフリカで生きていく彼らには人生の厳しさも学ぶ必要がある。

・・・・・と、言いながらも僕がここで子供を叩けるかというと、実際には叩く事が出来ない。
それは今までの教育、習慣もあるだろうが、アフリカにおいても体罰を行えるのは子供から"この人からだったら叩かれても仕方がない”と思われてからではないのかと思うからである。
子供との信頼関係を築く前に安易に体罰という方法をとってしまえば、アフリカといえども子供の心に傷を負わせてしまう原因となってしまうだろうから。


その後カマウさんの昔話。
ウガンダでカマウさんがニュートピアを立ち上げ数年した頃、アメリカで9.11事件が起こった、それに対しアメリカはアフガニスタンに対し報復を行った。

それで起こった悲劇、というか一番の被害に遭ったのは多くのアフガニスタン国民・・・難民である。
そのニュースを見てカマウさんはアメリカ報復直後のアフガニスタンに援助物資をもって入国(もちろんすんなり入国できる場所ではない)し、苦労の末、最深部ではないが、貧困層のところへ緊急物資を運んで行ったそうだ。

何がカマウさんをアフガニスタンへ行かせたのかとの問いに「困っている人がいたら助けてあげなさい」と子供に伝えているのに、自分がこの現状を知った上で行かないのは子供に対しての裏切りになると思ったからとのことだ。

それにしても、頭では思っても実際に行動できるかというと・・・僕には出来ないなと思ってしまう。いろいろな意味でカマウさんは凄い人だなと思う。(もちろんそれ以外の部分もあるが)

0時就寝。

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