昨晩は、マザーハウスでのパンジーのことが思い出され、なかなか寝付けなかった・・・
9時半起床、昨晩アサが、「あと一日あればブログ終わる」と言っていたので、「出発をもう一日遅らそうか?」と打診するとあっけなくOK.
明日の朝出発すれば何とかジャマイカのミサには間に合うはず。
ので、今日は午前中パソコン作業をし、午後から再び1人でマザーハウスへ出かける。
今日のマザーハウス
障害児の部屋。
本日はひざだち君をみっちり。
しばらく、ボールプールの縁に自立して座らせる練習が滞っていたようで(試みたが出来なかったらしい)久々に、自立して座らせる練習をすると、始めはバランスが上手くとれず、すぐに前へ後ろへ倒れそうになっていたが、15分ほど練習すると本人もコツを思い出してきたようで10分程度は自立して座れるようになった。
職員のおばちゃんにも、「サポートをしすぎると、本人は支えてもらえると思い、甘えてしまうので、サポートは必要最低限にしたほうが良い」と引き継ぐ。
その後、すわる君の体ゆるめを行う。
今日は、少し早めに赤子部屋へ行かせてもらう。
赤子部屋
部屋に入ると、いつもの職員のおばちゃん以外に大人の女性が3名おり、何やら笑いながら雑談をしていた。
その彼女らの足元を見ると、赤子たちがマットの上で重なりながら泣きじゃくっていた・・・・その姿が目に見えていないとも思えないのだが、職員らは談笑に夢中で赤子をあやそうという行動を全くとらない・・・・。
どうやら、パンジーが笑顔をなくした理由はこのあたりにもあるようだ。
担当の職員さん1名は代わっていないのだが、新たにきた職員1人は赤子のことを気にする能力に欠けているらしい・・・。
長い間、関わるとだれるというか、感覚が麻痺する事は人間だからもちろん避けられない事だが、そのためにせっかく芽生えてきた赤子らの感情が摘み取られるのは非常に口惜しい・・・
僕が部屋に入ると、赤子を放置していたのが後ろめたく思ったのか、おしゃべりばかりしていた職員は自分の持ち場の部屋に帰って行った。
泣いている赤子を、抱っこしたりおもちゃであやしたりすると、一分もかからず、みな落ち着く。
「なぜ、その一分ぐらいが出来ないのだろうか?」と、思ってしまうが、事実出来ないのだから仕方ないのか・・・・
えびす、姫、ミッキー、ジョニーは昨日と比べ明るい表情を多く見せてくれた。
しかし、パンジーはあいかわらず。
虚ろな表情ではなくなってきたが、常に不安そうな表情で全く笑わない。
食事時間となり、パンジー、えびす、新しく入った女の子3名に離乳食を食べさせる。
パンジー、えびす共に食欲はしっかりあるようで安心した。
あたらしく入った女の子(6ヶ月ほど?)は見知らぬ相手(僕)に不安を隠せない様子。
雰囲気的に、彼女も生後数ヶ月で親に捨てられたのだろう・・・
日本では想像できないほど多く世の中には親に捨てられる子がいる。
障害があろうが、多少貧しかろうが、親がいて、親から愛情をたっぷりうけている子供たちは、みなとても柔らかい表情をしている。
しかし、愛情をもらっていない(過保護すぎるのも問題だが)子供の表情には、どこか子供らしくない不自然な様子が出ていることが多い。
食後は人形やおもちゃを使い、子どもらを楽しませようとするが、パンジーだけはおもちゃではなく、友達の表情をぼんやり眺めている。
前に好きだった「アワワワワ・・・」を目の前で何度かすると、一瞬やや頬が緩んだように見えたが、笑うにはいたらず。
彼女の表情を見ると、僕の事をまた信じてよいのかわからず、心をしっかり開く事が出来ないようだ。
結局、帰るまでずっと遊んでいたにもかかわらずパンジーだけは笑顔を一度も見せてくれなかった。
僕は彼女の笑顔をみて、スッキリして出発したかったのだが、そうは問屋が卸さないのだろう。
彼女は僕をスッキリさせるために笑うわけではないのだから・・・
昨日と比べればパンジーの表情もやや緩んだのだが、職員の人達が常に今日のような状態でいるのであれば、彼女の笑顔が再び戻る事は難しいのかもしれない・・・・
「11月中に、養子へ行く」と聞いていたから、養子先の家族から愛情をしっかり与えてもらう事を願う。
部屋を出るときに赤子たちと再び会うことはないのだろうな・・・と思うと後ろ髪引かれる思いがする。
しかし・・・さすがにこれ以上は。
今日もどんぐりが最後に笑顔で見送ってくれたのが救いであった。
マザーハウスの帰り道でガム売りの少年の1人とバッタリ出会った。
彼は、僕のホテル近くの友達の家へと遊びに行くところだったようで、一緒に話しながら帰ることに。
彼は現在10歳。毎日学校が終わった後、ガム売りの仕事をしているらしい。
一日に10~30B(50~150円)ぐらいの売り上げがあるらしい。
「そのお金で何を買いたいの?」と聞くと、「わからない・・・」とのこと。
どうやら、自分で使うのではなく家に入れているようだ。
その後も。簡単な会話(中学校英語)ぐらいは英語で苦も無く話す彼と雑談をしながら帰っていたのだが、
急に暗い顔になり「お母さんも僕もHIVなんだ・・・・」
と、彼が言った・・・
「HIV・・・・」
聞き間違えかと、思ったが、彼の深刻そうな表情をみると、聞き間違いではないようだ。
なんと、答えていいのか戸惑い、「今のところ、体調的には問題ないの?」としか返す事が出来なかった・・・
彼が、「今のところ全然大丈夫なんだけどね、でも、他の子より僕は体力が無いんだ・・・」
と言われ「でも君はその分頭が良いじゃないか、大人でも君ぐらい流暢な英語は離せないよ」
というと、笑顔で「そんなことないよ!!」と謙遜していたのだが、いかに自分が日本という国で恵まれた生活をしてきたのかと痛感する。
僕が今HIVにかかったら、彼のように荒れることなく、自分の人生をしっかり歩いていく事が出来るのだろうか?
宿の近くで彼と別れた後も、いろいろ考える。
「人生は不公平である・・・・」と、思わずにはいられない。
たまたま、彼らは、エチオピアに生まれ、金銭的には貧しく、HIVにかかっている。
僕はたまたま日本に生まれ、頑張って働いたとはいえ、世界を旅行して毎日過ごしている。
”当たり前に生活できる”というその事に引け目すら感じてしまう。
何が良くて何が悪いのかもわからなくなってくる・・・。
宿に帰り休憩したあと(アサのブログも追いついたらしい)晩ご飯を食べに、TAITUの横のレストランへ行く。野菜のピザとパスタを食べる。
部屋に戻って、パソコンをする。
・・・今頃彼はなにをしているのだろう?
そしてパンジーはどうしているのだろう?
世の中にはもっといっぱい眠れぬ夜を過ごしている人々がいるのだろう。
その中で自分はあまりにも無力である。
とりあえず、明日から南部旅行だ。
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