10月27日
9時起床。
明日出発するために今日は細々としたことを行う。
まずは、TOMOCAでコーヒーの飲み納めとコーヒーセレモニーのイラストの葉書を購入。
そして葉書を投函し、次はマグネット購入。
マグネットはアサがすべての国で集めているので。
しかし・・・エチオピアのお土産屋にはマグネットがほとんど売られておらず、かなり貧相な木彫りの動物のマグネット、観光地のダイジェスト写真が載っているもの、国王?の顔写真入りのものの計3種類しか見当たらない・・・
20店舗ぐらい捜して無いので諦めて国旗にライオンが描かれたデザインのアップリケを購入。後日裏に磁石をつけることに。
昼ごはんにフルーツ屋のサラダを食べ納め、そして食後のデザートにTAITUホテル近くのケーキ屋のミルフィーユとシュークリームを食べ納め。
そして宿に帰り、アサはブログの更新の追い込み。
僕は、明日出発のため、最後にマザーハウスの子供たちがどうしているのかを見に行く事に(中途半端にもう一度会うのは良くないかな・・・と、思っていたがやはり気になるので)
本日のマザーハウス
まずは心身に障害のある子供たちの部屋へ行くと・・・・
いつもの職員のおばちゃんが「あら~!!帰ってきてくれたの!!」と喜んでくれる。
そして、「北部はどうだった?」「またしばらく来てくれるの?」と質問攻め。
「いや、明日南部に出発するんだ・・・」というと残念そうな表情をみせつつも、「南部も良いところよ楽しんできなさい!!」と言ってくれた。
子供たちはというと・・・少し予想はしていたが、やはり座れるようになっていた子供(ひざだち君)が全く座れなくなっていたり、あぐら座位の安定も悪くなっている子がいたりと、全体的にはやや後退が見られた。
それでも、僕が来る前はずっと仰向けで寝かされっぱなしだった子供たちが椅子に座って周りの様子を眺めているなど、出来る範囲で努力してくれている様子がうかがえてよかった。
実際に、リハビリというものは1ヶ月教えられて、全てができるような簡単なものではないのである。
僕だって、おばちゃん職員さんより知ってはいても、日本で僕に教えてくれた先生達が簡単そうに行うリハビリテーションを長い期間かけても習得できず、苦労したのである。(不器用なので・・・)
だから、技術はともかく、おばちゃんの意識が変わってくれた(こういうアプローチをしたら、子供はもっとできる事が増え、増えた分子供の世界が広がると感じてくれた)のは良かったのかな。
子供たちも2週間ぶりだけどしっかり憶えてくれていたようで笑顔をいっぱい見せてくれた。
ご飯は、ひざだち君、すわる君、やんちゃ君、よつばい君と食べる。
2週間前と変わらない光景、また明日も来たいな・・・と思ってしまう自分がいるが、ずるずると期間を延ばし続けることもできないので。
今後彼らが自分自身でできる事が少しでも増え、いや、増えなくても彼らが「生きてるって楽しいな」「生まれて来てよかったな」と思いながら幸せな人生を送ってくれたら、と切に願う。
赤子部屋
今回の赤子たちとの再会は、正直、僕にとって非常につらい再会となった・・・・
部屋に入ってすぐ、赤子たちの入れ替えがあった事に気がついた。
どんぐり、おいどん子など4名ほどが別の部屋に移動したらしく、代わりに新しい赤子が3名ほど入ってきていた。
えびすは久々の僕に始めは戸惑ったが、すぐに笑顔を見せる。
彼はいつの間にか補助されると歩けるようになっていた。
姫は、少し元気がなくなっているように見えたがこちらの笑いかけに対してはしっかり笑顔を見せてくれた。
ミッキーもジョニーもすごく体が大きくなっていた。
それは良いのだが・・・パンジーの表情がとても曇っているのである・・・。
生後7ヶ月の時に親に捨てられ、笑顔を失ってしまったパンジーは2週間前に、小花のような笑顔を僕らにだけではなく職員さんやシスターたちにも見せる事ができるようになっていたはずなのに・・・・・
パンジーが再び笑顔を失っていたのである・・・・
一目見て気がついた・・・
パンジーの表情が1ヶ月半前の、「何も信じられない」「何も期待しない」という虚ろな表情になっていた・・・。
動揺を隠して、笑顔で話しかけ、抱っこするが、顔は虚ろなまま。
彼女の全てを諦めてしまったような表情を見て、僕は自分が非常に大きな勘違いをしていたのだと気づかされた。
北部旅行をする前に、笑顔をすっかり取り戻し、職員さんとも笑顔で交流できるようになったパンジーを見て「もう、彼女は職員さんとの関係の中で落ち着いていく事が出来るだろう」と、間違った判断をしてしまったのだ・・・。
僕の考えでは、僕らに笑いかけてくれ、僕らとの信頼関係を築くよりも、将来的なことを考えるとこの先ずっと関わっていく職員さんとの信頼関係を築く方が大事であろう。
と、彼女が僕らにだけ関わろうと思わないように、ボランティア終盤は彼女の様子を気にかけつつも、できるだけ僕ら以外の人と関わりが持てるように努めてきた。
その時、職員さんやシスターと笑顔で関わるパンジーを見て、僕は「もう大丈夫であろう」と結論付けてしまったのである。
しかし・・・実際はそうではなかったのだ・・・彼女はその時点ではまだ僕らを支えにして、僕らがいるからこそ安心してシスターたちとの関わりを安心して楽しんでいたのだ・・・・
まだ内に秘めた不安を抱えながらも必死に立ち直ろうとしている彼女の状態の内面を理解してあげられずに、僕らが2週間北部に旅立ってしまった。
彼女からしたら、ようやく信頼できるような人が出来たかと思ったら、また自分の近くからいなくなってしまった・・・・
「また裏切られた!!」と、感じたのかもしれない。
パンジーとは、その後の関わりの中で、少し目に力は戻ったが、笑顔を見せることは一切無かった・・・その後もしばらく抱っこしたり遊んだりした後、帰らなければいけない時間になりベッドの中に連れて行くと、不安一杯だったころのパンジーに戻った悲痛な泣き声で泣きはじめた・・・
その彼女をこのまま置き去りにすることが、とても心苦しく感じられた、そして一度立ち直りかけた彼女を再び傷つけてしまったことを辛く感じた・・・。
帰る際、お兄ちゃん部屋に移動したどんぐりと目が合うと僕の事を覚えていてくれたようで「アババァ~!!」と笑顔を振りまいてくれた様子に心癒された。
が・・・・帰り道、「一ヶ月間、自分がボランティアで赤子たちと関わったことが、本当に彼らのためになったのだろうか?」と悶々と考える。
期間はこれ以上延ばせないとしても、もっと、違うアプローチがあったのではないか?パンジーの心に再び傷をつけてしまったのでは・・・?などと。
期間の短いボランティアとしてできる限界というか無力を・・・
しかし、「ではパンジーが笑顔を取り戻していた期間は無意味だったのか?」と考えると、その期間だけでも笑顔を取り戻した事は彼女にとっては大切なことだったのだと思う。
(いや、思いたい・・・)
砂漠で花を咲かせるみたいだな・・・
こんなところで花を咲かせるのは難しい・・・ずっと水をあげなければいけないし、自分の持っている水にも限りがある。
それでも、自分の水をあげている間は花もきれいに咲いてくれるのだ。
しかし、僕は自分の持っている飲み水をすべて費やす事はせずに、自分が無事に砂漠を出れる分を計算した上で水をあげていたのだと。
では、砂漠に水を撒いて花を咲かせたことは無意味なのか?
もちろん、砂漠自体を花が咲きやすい土に変えられたら一番良い(施設のシステムを変えられたら・・・)だけど、そんな力は僕には無い。
僕にできる事はせいぜい持っている水筒から数滴水を分け与えるぐらいなどだ・・・それが今の僕の出来る精一杯の限界であるし、それが無駄だったとも思いたくは無い。
できれば、「数多くの旅人が、花を見かけたときに少しずつでも自分の水筒の水を分けてあげられるような社会になってくれたら」と願う事しか出来ない・・・そのぐらい無力な自分。
考えさせられる・・・そして思い知らされる・・・。
宿に帰り、本日は出発前の最後のご飯で手巻き寿司を作ろうと、MASUDA君と約束していたので巻き寿司作成を行う。(重い気持ちになっても、楽しむところはしっかりと楽しみたい)
エジプトの宿のオーナーから頂いた、すしのこ、焼き海苔、パラグアイで購入したキッコーマン醤油をここで投入します。
今回の具材は
・入り卵
・シーチキンとマヨネーズを合えたもの
・アボガドサラダ
以上
日本で考えたら考えられないほど質素なメニューだが、エチオピアではこれが精一杯。
なんせ、内陸国なので魚介が皆無・・・
納豆も当然無いので、あるものをかき集めてもこれぐらい・・・
しかし、カリフォルニアロールにも入っているように、アボガドと酢飯の相性はとてもよい。
調理時間30分で完成!!
出来は・・・美味い・・・やはりエチオピアのレストランで美味しいものが食べれるとは言っても日本食にかなうもの無し!!
3人とも大満足で食す。
夜、日記を書き0時過ぎに就寝。
パンジーたちも楽しい夢を見ながら眠っていてくれたらいいな。
明日から南下開始だ。
自分達も精一杯楽しもう。
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