2011年11月24日木曜日

南京虫だった・・・→旅人から恐れられる悪路ゾーンに突入→警告音を鳴らしながら疾走するバス


11月15日
朝5時に目覚ましの音で起きる。少しは寝ることができたようだ。しかし・・・腕と首に刺された後を見るとその数100箇所をゆうに越えている・・・・

この時点である疑惑が浮上。

これは・・・8年前にアジアを旅行している時からずっと噂には聞き続けていた悪名高き”南京虫”が犯人なのではないかと・・・

南京虫は汚い宿に生息し、ダニのように人の血をすって変わりに痒みを置いていくひどい奴なのだが、特徴は「刺された後が3点並んでいる」事と「物凄い数さしていく」なのである。

そう思いながら腕を見てみると、考えるまでも無く物凄い数刺されている。

3点かどうかは数が多すぎてどれがセットになっているのかわからないが、3つずつに見えないこともない・・・

南京虫に出会ったときの原則は

1宿を変える
2熱湯シャワーを浴び体中についている南京虫を洗い落とす
3着ているものを熱湯に浸し煮込む

なのであるが。

1は本日バスで出発のため可能なのだが
2はバスの時間が迫っているため不可
3もすくなくとも明日の昼まではバスの中にいるため不可

と3打数2安打の猛打賞で、今後の状況悪化の不安がよぎる・・・

しかし、何かを選択する権利は与えられていないので唯一の選択肢「考えずに出発する」を実行することに。

南京虫はどうやらアサより僕の方が好みであったようでアサにはほとんど被害は無かった。
喜んで良いのか複雑なところである。

午前6時5分に部屋の窓からバスがやって来た様子が見えたので、バスに乗り込もうとすると荷物積み込み係に荷物代一つ200Sだと言われる。

バスの係員に聞いて見ると10kg以上の荷物には料金がかかるとのこと。

とりあえず「2つで300S(270円)でもいいか?と聞いてみるとOKだった。」

賄賂かもしれないが、流れの悪い今はお金を払って安全を得ることに。

荷物と僕らを積み込んだバスの横を家畜を積んだトラックが通り過ぎていく。
ちょっとあれにも乗ってみたかったのだが、最近いろいろと流れが悪い傾向にあるので、そういう時はリスク削減に励んだ方がよいので、バスでよかったのだろう。

走り始めてすぐ悪路。今日はずっとこれなのだろう。バスでこの揺れだからトラックの荷台はけっこう大変なのだろうな。

モヤレの町近くには韓国人オーナーの障害児(者)施設があるようで多くの乗客から「君は韓国人か?」と聞かれた。
もっと早くに施設の存在を知っていたら訪れてみたかったな。

バスで悪路をガタゴトと走る事4時間・・・感覚的には道路工事用のドリルで休み無く4時間アスファルトに穴を掘っている感じである。

マルサビッドという看板が見える場所で昼ごはん休憩。

マルサビッドはナイロビまでの行程の3分の1の場所にある町。
予想より早く着きすぎなので、この調子だと深夜にナイロビについてしまうのでは?と不安を感じたアサが「バスのタイヤがパンクでもしてくれたらちょうど良いのに・・・」とつぶやく。

本日の昼食はライス(小さい羊肉6切れ乗ってる)、チャパティ2枚、肉(ライスに乗っている肉と同じものがてんこ盛りの皿)、チャイを注文。
チャパティ、チャイは非常に美味しい。
ケニアには昔インド人の労働者が流れ込んだらしく、今でもインド文化が根付いているようだ。

お腹が満たされた後は再び未舗装路をオンボロバスで疾走する。
実際何キロ出てたかはわからないが体感としては100kmほどに感じた。

途中、たくさんの駱駝の群れ、猿、狐?、小鹿?(インパラ?)、槍をもった民族を発見したが、それ以外の大型動物は見られなかった。

やはり噂にたがわぬ未舗装路であるが、バスで走る事でアフリカ(サバンナ)の大きさを肌で実感できるのはいいことだな。
と感じながらバスに乗車。
アサにはやや疲労の色が見える。

モヤレを出発して9時間でマルサビッドの町に到着。


????


5時間ほど前にもマルサビッドの町を通った気がしていたのだが・・・・・どうやら先ほどのは単に州に入っただけっであったようで、ここがマルサビッドらしい。

ということは全体でこの3倍だから27時間程度かかるのか・・・なかなか大変そうだな。

しかも、マルサビッドの町は最近大洪水に見舞われていたようで道路中が水浸し・・・そのため電気も通っていなかったりとすべてが麻痺状態にあるようだ。

しかし、そんな中メイドインジャパンの僕らのモヤレバス(三菱)は気合十分に走り出す。

しかし・・・あっという間にぬかるみにはまり込み脱出不可能に。

タイヤは日本産ではなかったようだ・・・

ドライバーが必死に頑張るのだが、タイヤが空回り、下手するとバランスをうしなって横に倒れそうになる。

このままでは埒が明かないし、横転の危険も出てきたので、乗客がぬかるみの中外に出て男性人はバスを押す事に。

2度・・・3度と繰り返すが、なかなか脱出できないバス。それどころか、坂を上りきれずに戻ってきたバスに轢かれそうになることもしばしば・・・

しかし、地元の子供たちが見守る中4度目にして脱出成功!!
周りからも歓喜の声が。

よかった、これでようやく無事にナイロビに向かう事が出来る。

・・・・・と、思ったが、まだ甘かった・・・悪路はまだまだ続くのである。

ここ数日相当激しく雨が降っていたのか、道路のぬかるみはとてもひどい。

バスのタイヤはぬかるみに取られ、右へ左へ滑り落ちそうになる。

この時点で僕らの願いは「早くナイロビに着きたい」から「生きてナイロビに着きたい」に変更された。
それほど、死というか横転事故の可能性がリアルに出てきたのである。

事実何台ものトラックが、道端でタイヤを取られてどうにもならなくなっており、横転しているものも何台かあった。

そんな中われらがモヤレバスはメイドインジャパンの質でなんとか走り続ける。

その後も2度、乗客降りて押す事があった(一度はバスの片側の車輪が完全に浮くぐらい横転ぎりぎりになった)
が、なんとか無事にぬかるみゾーンを脱出。時刻は19時。なんとか日が沈む前に危険地帯を抜けることができてよかった。

と、ほっとしたのも束の間、今回のぬかるみで大幅に予定を遅れたバスの運転手が、遅れを取り戻そうと全力でバスを走らせ始める。

未舗装路でオンボロバスを100km以上のスピードで走らせるとどうなるかというと、非常に揺れるようになるのである。

それは鞭打ちになりそう・・・などとういう悠長なものではなく、ここでタイヤがバーストしたら大事故につながりかねないな・・・・という不安を感じさせるほどの揺れである。

窓もガタガタガタガタといつ割れてもおかしくない警告音を発し続けている。

そして・・・・その嫌な予感が的中。

突然「パーン!!」とピストルで撃たれたような音が・・・客全員がなんだなんだ?と慌てふためく中バス停車。

どうやらパンクしたようだ。
不幸中の幸いにも、このバスは計12個のタイヤを装備している重戦車級のバスであったためバランスを崩して横転することはなかったが、その分修理も大変のようで、何もない小さな村の近くで3時間ほど修理を待つ。ここにきてアサの「パンクでもしたらな・・・」という願いが叶ってしまったのである。

この時点でアサの心は疲れからポキリと折れ、「わたし30歳をとっくに越えてるのに何してるんやろ・・・」と弱気の発言。

特にすることもないので満天の星を見ながらぼんやり過ごす。

この村には何も無いけど、満天の星がある。

きっとこの村の人々にとって星がたくさん見えることや1分に1度は流れ星が見えることも当たり前なんだろうな。という気がする。

あるアフリカ人とヨーロッパ人のやりとりの中で「我々には(アフリカ)にはあなた達(ヨーロッパ人)のような時計は無い。その代わり我々には時間ある」といったという言葉が思い出された。

ただの強がりにも聞えるが、本当に大事なものをどっちが持っているのかなんてきっと誰にもわからないのだろう。

修理が終わったのが0時。ここまでで出発から18時間経過。

まだまだナイロビまでは遠いんだろうな・・・・と思いながら再び走り始めたバスの中で再び鳴り始めた窓ガラスの警告音など気にすることも出来ないまま吸い込まれるように眠りに落ちた。

0 件のコメント:

コメントを投稿