2011年11月25日金曜日

マサイ族の村→怠惰な踊り→火起こし→マサイ族のジャンプ力→お宅訪問→


11月19日

7時起床。


朝食後マサイの村へ。


観光地でビジネス化しているだろうと思っていたがその通り。

それでも日本では有名なだけに気になっていってしまった。


なぜ日本ではマサイだけ有名なのだろうか?


歓迎の踊り。女性の踊りは全くやる気なし。

男性の踊りは少し頑張ってくれていたが、ジャンプなどはかなり適当。


「日本ではマサイ族のジャンプ力はすごいと聞いていたのだけど?」と尋ねてみると、それは一応本当のよう。

ジャンプ力を競い合っての嫁探しなるものもあるようだ。


火起こしを見せてくれた。

片方が堅い木、もう片方が柔らかい木で、燃えやすい素材であることが大切なよう。

堅い木の上で柔らかい木を10分ほどこすり合わせるように回転するとまず煙が起こり10分ほどで無事種火となる木屑(灰?)ができた。


その後、お宅訪問。

羊などの家畜も、すぐに牛乳が飲めるのとセキュリティのため室内で飼っているようだ。

家の中案内では、説明よりもお土産売りの話ばかり。


民族の村が観光地化されると、民族の人々の主な仕事はお土産売りになる。

これは旅中に知った事である。


ライオンの牙のネックレス3000円、豹の牙1000円と言っていた。


ライオンなどは今でも時々槍と、ナイフでやっつけるようだ。

やはりライオンと対面すると恐ろしいし、逆に殺されるものも少なくは無いようだ。

マサイの人が日本製品と物々交換しようと言ってきた。時計が気になったようで、アサがしている100均時計と、豹の牙のネックレスを交換する。


お互いハッピーだからよいのだろう。


最後に一緒にジャンプをした。彼らの手抜きジャンプよりは僕の方がやや高く飛べた。


そしてマサイマラを後にする。

帰りは道路がぬかるんでおり、他の車の誘導などで時間をくう。


帰りのお土産屋は見ず。


昼食は初日と同じ店同じメニュー。ケニア人は食べ物にこだわりないらしい。(イギリスの植民地だった影響か?)


その後、スイスおじさんはナクルへ。


その他の人ともナイロビで別れる。


ナイロビ到着16時半。チップは要求されなかった。

ナイロビに着きニューケニアロッジより安いよしさんが泊まっているホテルを見に行くと入り口でばったりよしさんに合った。


よしさんのホテルは昨日、今日と停電中らしい。

ので、ニューケニアにもう一泊する。


晩はよしさんと~くんと4人でご飯を食べる。


宿に帰ってもみんなで会話。同じような期間旅行している人との会話は共通項がありよく弾む。


22時まで話~くんの出発を見送り、その後寝るまでざっと日記を書き寝る。

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