2011年10月25日火曜日

遅れるのは誰だ?→「何をするか」ではなく「どう感じるか」→都会クオリティ


10月21日

4時半起床。


眠い中出発の準備をし、寒さに震えながら5時にホテル前に出てバスを待つ。

昨日バスチケットを購入する時に「5時ちょうどに出発だから絶対に遅れるんじゃないぞ!!」と怖い顔をした係員が怖い顔して言っていたが・・・


「結局のところいつも遅れるのは僕らではなく君らなのだよ・・・」といってあげたくなる。


もう30分程度遅れることには慣れっこなので特に気にもならない。

空にはまだ星が光っている。(空気が澄んでるからかきれいだな。)


45分ほど遅れでバス出発。


最近ミニバスにばっかり乗っていたので、久々に少しリクライニングが出来るバスに乗るとかなり快適に感じる。


人間”快適”な気持ちを感じたかったら一度、意図的に”不便”な経験を感じておくと手っ取り早いのだろう。


そういえば、大学生の時に「幸せ(不幸せ)を感じるのはある時点の幸福(不幸せ)状態と、違う時点での幸福(不幸せ)状態の差から生じるのだから、意図的に緩やかな不幸せ事象を経験し耐性をつけておくことで大きな不幸せを感じにくくなり、かつ幸せを感じやすくなる方法なのでは?」と考えていたこともあったな・・・なんて思い出す。


今は、そんなこと(意図的に緩やかな不幸せ事象を経験)をする必要は無く、すべての事象を楽しむ事ができるような心の持ち方を目指すほうが正しい方向性なのでは、と思っている。

まわりの人から世界一周するなんて凄いね!!なんて言われていても実は「この国のこんな奴らは最悪だ!!」なんて常にイライラと思いながら過ごしているよりも、毎日忙しく、給料もわずかという仕事現場で他人には「平凡な人生だね・・・」なんて言われつつも毎日楽しんで働く事が出来ている人のほうが結局のところ幸せな人生を送っているという事になるのであろう、と日本での仕事生活と海外での旅行生活とを両方経験する事で気づかされた。



大切な事は「何をするか」ではなく「どう感じるか」なのだと。



だから、どんなことがあろうとも「楽しいな、幸せだな」と毎日感じられる生活が送れたらいいなと思う。

それを周りにいる人にもそう思わせることが出来たらなお素敵なのだろうと。


もちろん、それは非常に難しくて、実際に一番近くにいる相手にすらそう感じさせられない事ばっかりある。現状ではいずれできたらいいなという課題である。


などなど、移動中のバスの中では、このようなぼんやりした考えをして過ごしているのである。


食事休憩までぼんやりと過ごす。アサは爆睡。


午前9時の食事休憩では、運転手のおっちゃんが、「日本は地震があって大変だったな・・・今では大丈夫なのか?」「エチオピアは今は貧しいけどいずれ日本のように高層ビルが建つようになるだろう。」「数年前、日本の寄付で湖の改修工事をすることが出来たんだ、ありがとう!!」「エチオピア人はケニアやウガンダほどみんな英語が話せるわけじゃない・・・だけど、みんな必要だと思って今頑張っているんだ。エチオピアで英語を勉強するのは一月で200B(1000円)ぐらいだから、お金は高くないからな!!」などと教えてくれる。(それだったらアディス滞在中に英語を勉強したら良かったな。)


休憩中にオレンジを購入し食べながら再びバスに揺られてぼんやり。


13時にアディスに到着。


12日ぶりのTAITUホテル。


まずは洗濯。


従業員のおばちゃんが僕らの帰りを喜び抱きついてきてくれ、アムハラ語で猛烈に感動の気持ちを伝えてくれたのだが全く理解できず・・・申し訳ない。


アサが小腹がすいたというのでラーメンと卵を買いに行き、電熱棒にて卵入りラーメンを作る。卵が入っただけで味がまろやかになり美味しい、幸せに食べる。


その後、久しぶりにインターネットをする。


晩ご飯は、宿の近くのレストランでラザニアとミネストローネを食べる。どちらも美味しい。洗練された都会のクオリティである。


部屋に帰って、お笑いのビデオを見ながら平和に過ごす。

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