1月20日
7時半起床。
朝早くからモリコちゃんが練っていてくれたチョコレート入りチャパティ生地を焼いて、チャイと共に優雅な朝ごはん。
自分の住んでいる場所で朝食が飲み物つきで食べれると言うのはとても幸せな事である。
チョコレートの甘く香ばしい匂いが部屋に漂い贅沢なひと時。
チャイもタンザニアでは紅茶用のスパイスミックスが売られているようでそれを入れるだけで本格的なチャイの香りになる。
これは忙しい日本人には大人気になりそうなお手軽商品だ。
優雅な朝ごはんのあとは、洗濯をさせてもらい、そして歩いて5分の場所にある学校を見学させてもらうことに。
ここは一般の生徒以外に、知的、視覚、聴覚のコロニーがあり、70人ほどの生徒が通っているようだ。
住み込みで通う事が出来る生徒もいるが、年間700000T(3万5千円)ほどの学費がかかるようで、お金の無い家庭は子供に障がいがあっても通わせることができないという課題があるようだ。
以前ドイツの人からの寄付が入ったようで、ドミトリー用のシャワーを温水にする機械や、太陽発電する機械がすえられていた。
ドミトリーは男子用、女子用と別れており、それぞれ10歳~18歳ぐらいの子供が24人ずつ寝ることが出来る。
卒業後、優秀であれば近隣にあるドイツ系の作業所で働く事が出来るが、そうでない場合は実家に帰り、出来る範囲の手伝いをして過ごすことが多いとの事。
ここに通うためには、まずコーディネーターとの面接があり、それによりクラスの振り分けなどが決まるそうだ。コーディネーターの女性と話すことが出来なかったので詳しくわからないが障害の程度によっては通う事が出来なかったりするのかもしれない。
案内してくれた男性教員が受け持つ視覚の教室には住み込みの子供と通いの子供1名ずつがおり、自習していた。通いの子供は弱視であったが、住み込みの子供は全盲。
全盲の住み込みの子供がどのように日常生活を送っているのかを尋ねると「生活に必要な知識はすでに学校で習得しているし、他に必要な手伝いは住み込みの年上の子供が面倒を見てくれるから問題ない」とのこと。
食事担当のおばちゃんが2名おり、毎日食事を作っている。
彼女らは基本的に子供が休みのときが休みのようで、それ以外に自由にとる事の出来る休みはないそうだ。
学校見学後、特別支援の先生になろうと思ったらどのような経緯を踏むのかを尋ねてみると、「特別支援用の学校で勉強をして卒業すると、政府の指示がありそれにより配属場所が決まる」とのことで特に採用試験があるわけではないとの事。(もしかしたら全国共通の教員テストというものはあるのかもしれない)
見学後、小学生たちと若干戯れて帰る。
部屋で少し休憩した後、ドイツ系の作業所を見に行く事に。
そこまでダラダラで10分ほど。
作業所はドイツの力、お金が入っているためか思った以上に、というか日本の施設・作業所と比べても進んでいる雰囲気。
明るく広々とした敷地の中に、靴作り、家具作り、服作り、民芸品作りの部屋、カフェがあり、それぞれ、自分に出来る作業場で働いていた。
作業を行うためにひつよな講義もしっかりと行われているよう(肢体障害のあるひとが他の障がいのある人に足踏みミシン教えているなど)で、日本の作業所を多く見たわけではないが、規模とクオリティは日本以上なのであろう。
この経営が成り立っているのは、もちろんドイツのお金と知識以外が入っていることが大きいのだが、日本で出来ないのはやはり資金問題なのであろう。
広大な土地、障害がある人々が住む場所、何人かの指導する人々を雇うには莫大なお金がかかる。
ここでは、外部からの寄付、それぞれ製品を売った収益、カフェの収益と、この施設内の旅行者の宿泊費が運営資金にあたるようだ。
1年間ボランティアをする予定のドイツ人女性は、障害を持つ人々が人生プランを自ら考え出す事が出来るようになるための授業を新たに始めているようだ。
彼女は「ここの生徒達が熱心に仕事に取り組んでくれている事を誇りに持っている」と話していた。
しかし、この国では軽度の肢体不自由者には仕事があっても、重度の肢体不自由状態(医療が進んでいないため重度の肢体不自由者はあまり生き続けられないよう・・・)、知的障害のある人々に対する仕事はまだ構築されていないとの事。
しっかりと運営できているように見えてもまだまだ課題はあるようだ。
それでも働く人々の表情を見ているとここでの取り組みが上手くいっていることがよくわかった。
・日本でこれをするにはお金が必要。
・障害が重度の人々がここの職員となる対象から外れてしまう。
という課題は今後の検討事項だろう。
その後、併設カフェでのんびり。
雰囲気もよく、手足に問題があることを感じさせない笑顔の素敵なウェイターさんたち。
素敵な雰囲気の中3人で2時間以上のんびり。
ラザニア、コーヒー、ケーキ&アイスどれも美味しい。ソーダも含め2人で13000T(650円)と値段も良心的。
日本でこのカフェを行ったら同じようにお客は来るのだろうか?と考えると、障がい者との距離が広い日本人では難しいのかもしれない。
いろいろ考えさせられる。
16時に家の近く商店でビールと食材の買出しをして帰る。
帰ってから、タンザニア人にどのように特別支援の知識を教えればよいのかを検討する。
しっかり知識を身につけたいという生徒が多いようだが、今までに障がい児と接した事のない人々がかなり多いことを考えると。
「むずかしさの共有」をできる下準備をすることが第一なのかもしれない。
そのためには施設見学のほか実体験(目隠ししての生活、間接が動かないようにしての不便さ、言葉なし絵カードだけでコミュニケーションをとる)を交えた「不便体験」などからか。
理論は・・・自分自身も現時点では日本語でも詳しくは説明できないほど貧弱な知識なのにそれを英語となるとさらに大変そうだ。
晩ご飯は
・アボガド醤油&酢
・高野豆腐(高野豆腐は煮込む時間不足で微妙な味に・・・)
・ビール
・ワイン
・カシューナッツ
を飲み、食べながら0時まで話す(話題の中でキリマンジャロマラソンの存在を知りなぜか参加する事に決定)。そして就寝。
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