2012年1月14日土曜日

虐殺記念館→悲惨な過去→どう仲直りしたのか?→ビュッフェ飯→豪華なラーメン

1月10日
7時半起床。
洗濯。
朝ごはんをタクさんたちと部屋で一緒に食べる。
コーヒーとパン。昨日買ったパンが美味しい。

本日は虐殺記念館へ。
タクシーパークからミニバスに乗る。思ったよりも英語が通じない。フランス語を話す人が多いようだ。

記念館近くまではあっという間に到着し、少し歩いいて記念館へ。

中はきれいに整えられている。
映像、写真では頭をなたで叩き割られた人々、そして彼らが放置され朽ち果てている様子が・・・

どんな風に命を落としても結果的には同じ死なのかもしれないが、凄惨さ、悲惨さをより感じてしまう。
「パッションフルーツを持って来てくれたのが母親を見た最期だった・・・」など、虐殺を語る人々の声が生々しい。
ナタや斧での虐殺以外にもレイプされた際にHIVに感染しなくなった女性も多くいるようだ。

しかし悲惨といえる虐殺と、現在の平和に見えるルワンダ人とがどう考えても同じ民族とは思えない。
虐殺後ツチ族とフツ族がどのように仲直りしたのかを聞いてみたい。
アサがホテルルワンダみたいな被害者であるツチゾク目線だけでなく加害者であったフツ族目線の情報も知りたいといっていたが、加害者の心理を知る事も必要な事なんだろう。フツ族の中でも殺人を強要された人もいるのだろうし・・・。

今なお続く世界のいさかいを改善するためのヒントがそれらの中にあるのかなと。

見た後、記念館併設のカフェで久しぶりのネット。カフェでコーヒーを飲み、ビュッフェ形式の昼ごはんを食べながら。
ルワンダのご飯は皿一杯に載せて1500Rなどいう場所が多いので、男性旅行者には嬉しい。

その後、中心に戻りホテルルワンダのモデルになったホテルへ行く。
映画と雰囲気が全く違うが、この付近で虐殺が起こっていたと想像すると、今の平和な様子が不思議に思えてしまう。
町中を歩いている人の中には、身内を殺された人、あるいは誰かを殺した人がいるのかもしれない。
その中で人々はどう乗り越えてきたのだろう。

ホテルでジュースを飲みながらのんびり。

そしてナクマットで買い物をして宿に戻り(バスを掴まえるのが大変だったが、普通の車がタクシーになってくれた。)

本日は買出しした野菜と、わかめ、ハム、ねぎ、オクラを投入した豪華なインスタントラーメンをタクさんたちと食べる。
食後、ルワンダ虐殺を元国連司令官の目線から作ったドキュメンタリーを見たが、結局はルワンダ人を残して逃げた言い訳に聞えた。
もちろん自分が同じ立場でも逃げ出したくなっただろうが・・・。

23時就寝

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