1月17日
7時起床。
アサは久々の快適ホテルで気持ちよく寝ているので、一人で朝食を兼ねてアルーシャ散策へ行くことに。
コーヒーが美味しいという情報のカフェが徒歩15分ほどの場所にあるようなので町を眺めながら歩いていく。
アルーシャは標高1000m以上あるためか乾燥しており日差しが弱い時間帯は涼しく過ごしやすい。これは僕好み。
今回の旅行に出て痛感したのが、僕は湿気嫌い、暑いの嫌い。と熱帯が苦手のようだ。
もちろん大人なのでそれで駄々をこねることはないのだが、出来れば避けたいなと。
そして涼しいところは出来るだけ長く滞在したいと・・・・つまり、ここは危険な場所なのだ。
町を歩くと、昨晩とは一変、人通りが多く、かなり平和そうな雰囲気。
ただ、サファリができる有名ナショナルパークが近くにあるためかガイド希望者が多くやや面倒くさい。
彼らを適当にあしらいながらお目当てのバンブーカフェに到着。
ここらで一番美味しいと噂されるキリマンジャロコーヒーを頼んでみる事に。
値段は1300T(65円)、それに朝ごはんとしてチャパティ+ウィンナー3000T(150円)をチョイス。
合計したら4300Tなので、「それならば今泊まっているホテルに5000Tで朝ごはんを付けてもよかったな。」などぼんやり考えているうちにコーヒーがやって来る。
一口飲むと・・・ふむ・・・酸味系である。
美味しいと言えば美味しい。
日本の高級なカフェで飲むような味がする。
のだが・・・ちと好みと違う。
僕は苦味系のコーヒーの方が好きなようだと本日判明する。(もちろんこれも美味しいのだけれど)
チャパティ+ウィンナーは・・・普通。
期待した朝ごはんがやや不発に終わりがっかりしながら、昨日訪れた日本食レストラン「サザン」への道の下見を行うことに。
橋を渡る辺りの治安が余りよくないと昨晩いわれたので、夕方ならアサとでも一緒に歩いて行けそうかどうかを事前チェック。
結果明るい時間ならば大丈夫そうであろうと判明し、いったんホテルに戻る。
ホテルに戻ると、起きて洗濯をしてくれていたアサが「腹が減った」と言っていたので近くのスーパー(ショップライト)へパンを買いに行く。
パン屋コーナーに行くと、置いてあったのは昨日の売れ残り・・・しかし奥を見ると焼きあがったばかりのパンを発見。
「是非それを売ってくれ!!」と言うと、30分ぐらい待てとのこと。
仕方がないので店内の商品をくまなくチェックして時間を潰す。
そしてパンを購入してホテルに戻る。
朝食を食べてすぐに再び睡魔がやってきたアサをほうっておき、アルーシャ探索に再び出る。
特に行きたい場所は見当たらないので、とりあえず町のシンボルタワーみたいなところと、マーケットを見て戻る。
ホテルに戻るとアサが「サマーウォーズという映画を見よう!!」と勧誘してきたので1時間ほど見てのんびり。
そして昼ごはんを食べに近くのカフェに。
ご飯と豆のランチ3000T(150円)とインスタントコーヒー1000T(50円)で昼を済ませた後、お土産屋を見物して、AICCという会議場へダラダラ(乗り合いタクシー)を使って訪れる。
ここにやってきたのは”ルワンダの虐殺の時に、国際裁判か何かでここアルーシャが紛争解決の中心地になった”ということをロンプラの記事にちらりと書いてあったので。
しかし、訪れてみると「今は虐殺関係の展示はしていない」とのこと。
「それならば話だけでも・・・」とお願いすると、奥から資料を持ってきてくれた。
「細かい事はわからないので資料を読んで」と伝えてくれたスタッフにお礼を言い、帰ろうとした時にルワンダ担当の係員を発見。
そのおじさんに挨拶後、「ルワンダは紛争後、完全に平和になったとみな口を揃えていっているけど、それは正確な情報として受け入れてよいのか?」と尋ねると「虐殺を行っていたフツ族過激派を解放軍がウガンダ側の森から攻め、コンゴまで追いやったので今は本当に平和だ。指導者なども国外追放になったので」とのこと。
つまり、今まで手に入った情報をあわせると”ルワンダはあれだけの虐殺のあと民族争いの後遺症をほとんど残すことなく立ち直った”ということになる。
これは彼らのメンタリティに学ぶ事がありそうだ。
日本人、というかアジア人はよく言えば真面目に物を考えるのだが、悪く言えばいつまでも細かい事をひきずる傾向にあるため一度トラブルのあった他人に対して”許し”を与える事が難しいのかもしれない。
「虐殺前に国外に逃げていたツチ族もルワンダに戻ったのでツチ族の人は今もルワンダに多くいるよ。」(ツチ族がほとんど消滅してしまったから抗議の声が黙殺されているという疑念がこれで晴れた)
「虐殺っていっても世界中にナチスやらなんやらいっぱいあったじゃねーか、これもその中の一つってことだけさ、終わった事は終わった事だ」などとあっけらかんと言っていた。
おじさんにお礼を述べ、近くにあったアフリカンカフェに入り、もらった資料に目を通す。英語だったのでわかる部分のみ、ざっと流し読みしたが、基本的には今までの記念館や人々の情報と一致する。
つまり、僕らが疑いすぎていただけで、ルワンダの虐殺による傷跡はほとんど綺麗に消えているのかもしれない。(かもしれない・・・と言ってしまう時点でまだ疑っている自分がいるのだが)
ルワンダ人のメンタリティ凄いな。
18時半になったので歩いて「サザン」へ行く。
本日はとんこつラーメンとそばを注文。
注文したメニューを待っていると奥から今井さんが顔を出して「今タンザニアで働いている人達がいるから一緒に食べましょう」と誘ってくれた。
そこで3名の僕らと違い真面目に働いている人達とともにご飯を食べながら飲ませてもらう。
みな気さくにタンザニア事情を話してくれ、「何ならうちにも遊びに来てください!!」と誘っていただけた。
これはありがたい誘い。
でも「ご迷惑になるのでは?」と尋ねると、「ちょうど学校が休みの時期なので」と言ってもらえた。
ので3名の中のアルーシャで働いているモリコちゃんの家に明日は泊まらせてもらう事に。
居候生活。ありがたい。
他の2名からも「トドマ、イリンガに来た際には是非!!」とありがたい言葉をもらう。
人のつながりって言うものはやはり素敵だなと思う。
ぼくらも人から貰ってばかりではなくそろそろ与える側にならないとな・・・。
本日はなんと会計まで出してもらう事に。これには本当に大恐縮で「いやいや・・・それは大丈夫です」と断っても、「そのお金で楽しいたびを続けてください」と言っていただいた。
ありがたくお言葉に甘えることに。これは泊めてもらう時には何らかの恩返しをせねば。
それぞれに次の再開を約束し21時半にホテルに帰る。
キリマンジャロを見ることとザンジバル島へ行く事以外ほとんど予定を決めていなかったタンザニアも楽しくなりそうである
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