9月6日
昨日の晩の話題から「日本人男性と付き合いたいと思う?」とヨネに聞くと「思わない!!」とバッサリ。
何故かと聞くと「韓国人男性が良いから・・・」とのこと・・・日本男子の魅力が不足しているようだ。
旧市街で2人と別れ、もう一度岩のドームへ。
中に入れるか再挑戦したが結局中へはイスラム教以外の人は入ることが出来ないらしい。
その後トラムに乗り終点へ。
本日はナチスによるホロコースト(ユダヤ人集団虐殺)の博物館を見学。
この博物館の名前はヤド・ワシェム。「名前と記憶」の意味があるようだ。
中に入ってみると、この博物館は入場料無料と思えてないほどの情報量。
ホロコーストについては映画「シンドラーのリスト」で見て悲惨という言葉だけでは足りないほどの壮絶さを感じたものだが、淡々とした記録としての写真、映像は時には映画よりも怖しいものだと感じた。
それは作られたものではなく実際に行われた言い逃れの無い「現実」だからであろう。
600万の人々が虐殺された。これは逃れようの無い現実であり、状況においては僕らだって加害者側、もしくは被害者側になる要因はもっているということである。
あたりまえのことだが、ホロコーストに関わった人々だって今の時代に生きていたら間違いなく普通の人として平和に生きていただろうから。
だから同じ過ちを繰り返さないためには「忘れない」ということは非常に重要だ。しかし、哀しい歴史というものは、得てしてそこから憎しみを生み出してしまうものである。
だから人々に必要な事は、歴史を知り、そして事実を理解したうえで許しあう事なのだろう。(悲劇と許しを両輪の輪として)
もちろん客引きに50円ぼられたぐらいでプリプリ怒っている僕に「許し」なんてできない事だけど、少しずつ近づいていこうという姿勢が大切なのだろう。
一見無意味に見える努力の継続がいつか結果を出す事もあるはずだから。アスファルトから芽を出した雑草のように。
戦争の真っ只中で生活してきた人たちと比べれば自分達は何と幸せなのだろう。
たかだか、「エチオピア行きの飛行機チケットが高い!!」だの「アサがいつまでも起きてこない」などで、人生に苦しみを感じるなんて・・・。(恥ずかしすぎて洞穴に逃げ込みたいぐらいである)
なんだかんだと問題のある社会ではあるが、人々が殺しあうことなく生活できているというだけで十分なのではないかとさえ感じてしまう。
当たり前すぎて見失いがちな、「今ここにある(すでに存在している)幸せ」を再確認できたこともあり、このヤド・バァシェム博物館訪問は意義のあるものであった。
その後マーケットでパンとファラフェル。旨い。
その後ユダヤ人地区を訪れてみた。
黒い帽子に、黒いスーツ(?)そして長い揉み上げを持った、熱心なユダヤ教信者が住む町は非常に不思議。
キューバやチベットなどとまた違う意味で100年前の世界に迷い込んでしまった気がする。
そいいえばユダヤ教の人とはほとんど関わりが持てていないなぁ・・・
晩は本日も日本人勢で晩ご飯を作る。最近はね君を含め、自ら「晩ご飯を作りましょうか?」「イブラヒムの面会に行きたいんですけど?」と聞いてきてくれる人がたくさんいる。日本人旅行者の中にも良い人はいっぱいいる。
この調子で行けば、多くの韓国人女性が日本人男性に恋する日が来るのも近いかもしれない。
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