2011年9月23日金曜日

ダニに追われ部屋移動→本場のカルボナーラの実力?→親がいないという事→見えてくる自分の欠点


9月17日

9時半起床

昨日までの部屋にはエチオピア名物のダニしっかりと住み着いていたため、一度部屋を代えてみることに。(無駄な気もするが・・・)


部屋を変えた後は、ブランチを食べに”pizzapizza”へ。


情報ノートに「カルボナーラは美味しくなかった」と書いてあったのだが、口がカルボナーラの気分であったため果敢に注文。そして失敗・・・。

ベーコンが入っておらず、なぜか代わりにパセリがふんだんに入っている・・・・。

ホワイトソースらしきものもなく、ただの卵で炒めたパセリ焼きそばと言う感じ。(後日知ったのだがこれが本場イタリアのカルボナーラだそうだ、パセリは関係ないけど)始めから「パセリ風味の太麺焼きそば」と聞いていたら食べれなくも無いだろう。


アサの注文したハンバーガーはまずまず。


食後、宿のレセプションに備え付けのパソコンで久々にネットをする。(日本語入力できないが・・・)


14時頃から突然の豪雨・・・・エチオピアでは7・8・9月が雨季のようで天候が不安定。

本日のマザーハウス行きが不安になったが、すぐにあがってくれた。


雨で出発が遅れたため、わっせわっせと歩いていったのだが、本日は土曜日でリハビリは休みだった・・・・。

ので今日は赤子の子守を2人で行う。


食事の準備、布オムツの交換以外は完全に僕ら任せ。

抱っこしないとほぼ一日中泣き続けている赤子がおり、「彼女はいつも泣いているの?」とシスターに尋ねると「そうなのです・・・彼女は7ヶ月の時に両親に捨てられ、ここに来て一ヶ月たったところで、母親の姿を探し泣き続けているのです・・・本当に可愛そうなことです・・・」


親に捨てられた子供達とは、以前にもネパールの孤児院でボランティアをしていたとき接したことがあるのだが、12歳前後の溌剌とした彼らの明るい笑顔の裏に隠されている親に対する喪失感をその当時はあまり気づいてあげることができていなかったな、と今になり気がつく・・・。


今回、現実的なウェイトを持って親がいないと言う事の重大さに気がついたのは僕らの歳や経験に伴うものなのだろうか。


(自分自身に親も親類も全くいなかったら・・・・)と想像してみたらスカスカして落ちつかない気分になった。


それが孤独・・・というものなのだろう。


今は笑顔を見せてくれる彼ら。この笑顔がこの先も続けばと思う。


赤子を順繰りに抱っこしてあやしたり、おもちゃや友達に興味をもたせるように遊ぶ、3日も顔を見ていると個性がだんだん見えてくる。


始めは抱っこされなくてもぐずる事がなかった赤子も、抱っこをせがむ様になってきた。

今まで諦めていた、「自分の感情を伝える」という行為を行えるようになったことは良い点なのだが、今後自分達が去った後のことを考えると、複雑である。


彼らにしてあげたい事と彼らの置かれている現実。

ある程度の着地点を考えておかなければならないのだろう。


3人の赤子に同時に離乳食を与えている時は自分が親鳥になったように感じる。


そして赤子と接している間に見えてきた自分の欠点・・・・

僕は基本的に気は長いほうなのだが、他の赤子が抱っこを大人しく待っている中、いつまでもワガママ(に見えてしまう)を言って抱っこをねだり、泣き叫び続ける赤子に対して(またワガママを言って・・・)という気持ちになりプリプリとしてしまうところである。


もちろん人間だから様々な感情はあるのだが、不必要な感情を持つことは自分のためにも赤子のためにも何の利益にもならない。

それならば(はいはい、そうですね)とベテランの職員さんのように受け流せた方が良い気がする。今後の課題である。


本日の晩ご飯はフルーツ屋のサラダ。

ここのサラダは本当に美味しい。グバァ、パパイヤ、アボガドが三層になったミックスジュースも美味しい。


夜、映画「メガネ」を観て寝る。

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