2011年8月31日水曜日

断食生活最終日→エルサレム新市街→寄付制に関する愚痴→終わりを感じる瞬間とは


8月29日
本日ラマダン最終日。
トルコなどの国では昨日すでにラマダンが空けたようだが、月の満ち欠けで終了時期が決まるためイスラエルでは本日までのようだ。

真夏の時期に、最後までやりきる。まぁ相手にとって不足無しですな。
断食を始めて数日はゴールまでは永遠とも思える道のりだったのだが、今になればあっという間であった気もする。
71日間のフランス→スペイン徒歩巡礼も同じ感想だったので、物事は始める前には不安に思っても、実際に行ってみると難しくないことがけっこう多いようである。僕が敵(?)を過大評価しすぎる傾向にあるからかもしれない。

昨日の移動ヨルダン→イスラエル移動(主に迷子の時間)と、予定外の夜の集会でけっこう疲れていたようで10時に起床。
アサがペトラ→死海→国境越えで若干疲れてきてるので本日は休養日にすることに。
必ずせねばならない予定はお金をATMで引き出すことと、インフォメーションセンターへ行く事ぐらい。体をいたわります。
アサの朝食が終わった後(明日からは僕も食べる事が出来る)イブラヒムの家を出発し、歩いて旧市街へと向かう。
イブラヒムの家はオリーブ山の頂上付近にあるため、旧市街まではなかなか急な下り坂。
しかしその分景色は良い。
下る事20分ほどで旧市街に到着。地味に膝に負担がかかる。
まずはATMをめざすべくエルサレム新市街へ。
移動手段は最近開通に伴い期間限定で無料走行している路面電車を利用する事に。
新しいため車内はとても清潔。見た目は日本の新幹線(色はシルバー)
新市街は旧市街とは異なり、非常に現代的でヨーロッパのよう。
ATMでお金をおろした後しばし観光したのだが新市街にある店のクオリティはなかなか高い。(値段もなかなか高い。)
特に目を引いたのがペーパーカッティングの技法。これはアサ好みなので、日本に帰ってからアサがはまってくれると良いなと思う。
インフォメーションセンターで「ラマダン明けの祭りが今日あるのか?」と聞くと
「ラマダンは昨日終わったのではないのか???」と言われる・・・・実は終わっていたのか???細かい部分がよくわからないが、今日までは続ける事に。
続いてキブツ情報を聞いてみる。
キブツとはイスラエル版社会主義共同体の総称。イスラエル内に点在しており、世界で唯一成功している共同体とも言われている。
妊娠出産以外完全なる男女平等を理想にしているようだ。
原則キブツ内では自給自足生活であり、仕事に対する報酬はごく小額。これは休みの日にキブツを離れて映画を見たりカフェへいったりしたときに使うための費用らしい。
(最近では資本主義化傾向にあるキブツも多く、給与制をとっているところも多いらしいが)
個人的価値観とは多少の誤差はあるのだが、気になるので一応機会があれば覗いてみたいと思って。
親切なインフォメーションセンターの職員さんがエルサレム近郊のキブツに電話をかけてくれたので代表者の人と少し話す。
現在一般的なキブツの原則である「32歳未満という条件」を誠に残念な事にアサがすでにオーバーしているのと、「人員募集があまり無い」という事で、現時点ではわからないので、「もう一度明日連絡してくれ」と言われる。
その後バスに乗って帰る。
夕方まで宿でのんびり。(というか昼寝)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?!?!?!?
断食終了を展望台で夕日を見ながら迎えようと柄にも無くロマンテックなことを考えていたのだが、案の定しっかり寝過ごしたようだ・・・。
目が覚めたら終了しちゃっていた・・・。
これにて断食終了。

ここに長い間泊まっているカナダ人新米ムスリムのアダムも断食していたので共に達成を祝う。
まだ、ラマダンについては上手く整理できていないので感想については違う日に書くことに。
さて、本日の晩ご飯はイブラヒムじいちゃん特製の玉葱とレバー炒め。美味いし栄養もありそうでありがたい。
食事中にイブラヒムじいちゃんが「明日はラマダン明けの祭りをこの近くで行うので是非見に来なさい」と誘ってくれる。
それと、子供達にご飯を振舞うので協力してくれる人は寄付してほしいといわれる。もともと寄付制のこの宿なので、普段の宿泊分に若干上乗せして寄付する。
ちょっとここで話が横に逸れるが、寄付制宿について。
今回の旅の間に巡礼中と今回、寄付制の宿にお世話になっているのだが、「寄付制宿」を「無料宿」と間違って認識している旅人が時々いる。
いや、本当にお金に困って払う事も出来ない場合には無料でも問題ないと思うので厳密には間違いではないのかもしれないが、「ここの宿は無料らしい!!」という言葉を残念ながら聞くことがある。
そういう時、相手が気分を悪くするかもしれないけど「入れる寄付の額はその人次第だけど、寄付制の宿を運営できるだけの常識的な寄付はするべきではないですか?」と言ってしまう。
僕らだって莫大な寄付をしてるわけではないので偉そうな事はいえないのだが、「無料だ無料だ!!」と浮かれて欧米人に話している年配の人をスペインでの巡礼中に見かけて、日本人として物凄い恥ずかしい思いをしたからだ。
どうしてある程度の歳の大人がそういう発想になるのかな?と思ったら、「地球の歩き方」(ここは実名出します)に「巡礼道には無料の宿もある」と思慮不足の情報を平気で流していたからのようだ。(書くほうも書くほうなら情報を鵜呑みにするほうもするほうだが・・・)
先ほどのケースでは、年配の人がいなくなった後、話を聞いていた欧米人が完全に軽蔑した表情で彼の後姿を見ていた。
旅行中、長期になればなるほど、どうしても節約型になるのは仕方がないと思うのだが(僕らだってケチケチしています)最低限のモラルというものは忘れてはいけないと思う。
なんだかおっさんおような小言が続いちゃったけど、なんでかというとブログ上でも、情報ノート上でも「イブラヒム・ピース・ハウス」について無料で泊まれる宿、と紹介している人が多数いるからである。(今いる人達が払っていないというわけではないです)
イブラヒムじいちゃんが、ここを作った目的は、「この宿からマザーテレサのような人物が出てきてほしい」との願いから新たな同士を見つける為だったのに、日本人の中には同士ではなく、被保護の対象になってしまっている人が多いようである。(本当は困っていないのに、生活保護を不正受給している人みたいに)
だからか、イブラヒムじいちゃんも欧米人には政治や宗教の話、日本人には「Eat!!Eat!!
」と扱いが全然違う・・・・なんだか凄く残念だなと思ってしまう。
クドクド長くなったけど、何が言いたいかというと
・無責任に、ブログや、情報ノートで誤った情報を流さないよう気をつけたほうが良い。
・長期旅行者にとって旅行の節約テクニックは大事だが、越えてはいけないラインはしっかり守った方が良いのではないか。
ということである。もちろん多くの人はしっかり寄付しているはずだし、情報ノートにも「寄付をちゃんとしましょう」と呼びかけている声もある。
そういう声と行為が増えたら(というかそれが普通になれば)いいなと思う。
以上愚痴でした。
食後は本日も再び展望台にマサ君、メグちゃん、大学生の男の子と行く。
夜は少しみんなで会話して、少しネットをして就寝・・・・しようと思ったらなかなか寝付けない。
どうやら遠足前の小学生のように1ヶ月ぶりに食べる事が出来る明日の朝食に興奮しすぎて眠れないようである。
朝からコーヒー。非常に楽しみである。
断食が終わった瞬間には、あまり達成感、というか「終わった・・・」と感じられなかったが、ここにきてジワジワ感じてきた。

物事の終わりを実際的に感じるのは何かが終了した「まさにその時点」ではなく、「次の何かが始まった時」なのだろう。
なんだかんだで3時前に就寝。

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