2011年8月27日土曜日

断食生活25日目→アサ特派員単独ペトラ②


8月25日ー2

上ってきた階段を下りはじめると、息をきらしながら上ってくる観光客と何人もすれ違った。私が上った時より暑くなってきていたからみんなつらそうな顔をして「あとどれくらいなの?」と聞いてくる。早めに来てよかったなー。と思いながら下っていると前の方に茶色の物体が!!今日のパートナーの犬君が日陰でゴロ~ンと寝そべっている。「おーい。ここにいたのかー?」と顔を覗き込んでもしっかりと目を閉じている。一瞬ちらっとこちらをみたけどまた寝た振りをする。おもしろくて体をポテポテ叩いて「すぐ戻らんでごめんねー。」と誤る。それでも一切目を開けようとしない。ふくれてしまったようである(笑)
犬君にフラれてしまったのでまたひとりで下り続ける。
ロバに乗ったカップルが上ってきた。ロバがへしゃげてしまうんじゃないかと思うほど、どちらも良い体格をしている。必死に頑張っているロバも「もういやや…」といって上るのをやめてしまった。そしたらロバ使いが「上らんかー!!!」とバシバシとロバを叩き始めたときである。焦ったロバが少し高い段をあがろうとしたけど思ったより体が持ち上がらず踏み外しロバが顔面を打ってしまった。それと同時に乗っていた大きな女性が前のめりになり顔から地面に落ちてしまった。幸い大きな怪我なくすんだようだったけど、危険である。上り道の片側は柵がないので落ちたら大怪我するだろう。
人も災難。ロバも災難である…。

その後もロバにのっている人と何人もすれ違ったが、ロバにうまく乗れずにガチゴチになって悲鳴を上げている女性を何人もみた。私が思うに慣れていない人がロバで階段を上がるのは難しいと思う。前後に揺れるためバランスも筋肉も必要だから歩いて上ったほうが楽だと思う。

誰もいない2つの博物館へいってみる。両方ともたいした事ない。
だけど崖の途中にあるペトラ考古学博物館の壁のマーブル模様は綺麗だった。寝っころがっている一応警備員が声をかけてきた。僕のこのカシオの時計は日本でいくらくらいするのか?と聞いてきた。3000円くらいかと思ったけど私がしているG-shockと交換して「USD100くらいじゃない?良い時計だよ。」と答えておいた。すると
「君のはいくらなの?」
「同じくらいの値段。」
「交換して。」
「やだ。私金属アレルギーだからやだ。」
「ちょっと外して見せて。」
「絶対やだ。」

なんでこう交換したがるのかな。絶対に君、この時計の機能使えないでしょ?といいたくなる。

いつものこういうやりとりを楽しんだあと、元の道に戻ろうかと思ったが博物館へ来る前に付きまとっていたベドウィン達が下で待っているのが見えた。なので横道にEL-HABIS FORTという看板があったので行ってみる。ぐるりと山の裏へ回る道を歩いていくとベドウィンのおじいさんが休憩していた。
挨拶すると笑顔の挨拶が返ってきた。「この先はいけるの?」と聞くと
「ペトラ内は君の行きたいところはどこでもいってもいいんだよ。私はそこの裏の家に住んでいる。来たかったらくるといいよ。」という。
おじいさんは下から水をタンクにいれて運んできたところ休憩していたらしい。
「ここが私の家だよ。お茶でも飲んでいく?」と聞いてきた。
一応カフェとして経営しているらしく『COFFEE & TEA 1d』と書いてある。
「今いらない。」と断ると、「そこの急な坂を上ると景色がいいよ。いっておいで。」というので上がってみる。一応地図には載っているけど、観光客はいっさいいないし教えてもらわないと上り口がわからない。かなり急で足場も悪い。岩場をよじ登るような所もある。時々風が吹くので怖かったけど上ってみると歩いてきた柱廊や王家の墓、大寺院が見渡せる絶景ポイントだった。
下にはツアー客が団体でロバに乗っているのが見える。この上からの景色は自分だけの世界みたいで嬉しかった。ひとりきりなのが嬉しくて頂上付近をうろうろしてみる。すると…大して広くない頂上なのに降りる場所が分からなくなった。どこをみても同じ岩場に見えてさっぱりわからない。ここは滅多に人がこない。上に上がったのはおじいさんしか知らない。焦ってあちこち見て回る。助かったことに上からはおじいさんの家に立ててあるヨダルン国旗がはためいているのが見えた。上ってきたときの事をシュミレーションして道を探す。「たしか・・・・この辺りなはず」と思って少し5歩降りてみると崖になる。
どうしたものか…こんなところで遭難してしまった。と落ち着こうと周りを見渡していると、石が積んであるのが目に入った。
「あっ!!遊牧民がよくやる目印だ!!」と石が積んであるところを辿ってそろりそろりと降りていくと道になってきた。
急な上に細かく曲がりくねっているから道が消えたようにみえたのだ。
上るときに写真を撮った綺麗なマーブル模様がでてきた。
はー遭難せずにすんだ。わずか15分の遭難だったけど、ひとりで自然の中に入るときは気をつけないと。と痛感した瞬間。
おじいさんに「上れたよ。ありがとー」と挨拶すると
手招きして「ちょっと日陰で休憩していきなさい。」というのでお言葉に甘えて縁側で休憩させてもらう。おじいさんは一生懸命にSHARP製の年代物のラジオをあけて修理している。
おじいさんはひとりでここに住んでいるらしい。
カフェがおじいさんの仕事なの?と聞くと「そうだ」という。
「今はローシーズンだからお客さんは来ないけどハイシーズンはたくさんくるからそれでいいんだ。」といいながらお茶をだしてくれた。
おじいさんの家の前の山にはたくさんの洞窟がある。おじいさんはそこで産まれて育った。

「1984年にユネスコとヨルダン政府が勝手に近くにベドウィン村を作って住民をそちらへ移動させた。今では学校や病院もあるから絶対に悪いとは思わないけど、だけど昔の方が良かったという。家の前はたくさんのベドウィンが火を起こしたり、ご飯をつくっていたり、子供達が遊んで家畜がいて、すばらしい景色だったんだ。
政府は全員に移動しろといったけど私は移動しなかった。ここに残る事に決めたんだ。
なぜならここが私の故郷だから。
今、ペトラの中に家をもって生活しているベドウィンは私だけだ。ロンリープラネットにも私のことはのっているぞ!」
とガハハと黄色の歯をみせながら誇らしげに笑った。
おじいさんによると来月9月には雨が降る日がある。濡れたペトラは色が濃くでて一層綺麗さが増すらしい。
「次回来た時は旦那さんと私の家に泊まるつもりできなさい。ここから見る夜空は最高だよ。」といってくれた。
彼の名前はBDOUL MOFLEHさん。
お土産にペトラでみつけた綺麗な貝の化石をくれた。

気がつくと1時間くらい話をしていた。
いろんな事を教えてくれて楽しい時間だった。

おじいさんに教えてもらった道を歩いていくと大寺院の裏にでた。メインロードに出るとロバ使いとラクダ使いが「ジャパニーズ!!」とあちこちから声をかけてくる。行く所々で代わる代わるロバ使いに付回される。「ノー!!!」と言いながらモザイクを見るためにビザンティン教会へ行く。ロバ使いもみんな悪い人ではない。親切に道を教えてくれるので結構助かる。若いロバ使い程、性質が悪い。「僕もあっちへ行くついでだからフリーで乗って良いよ。」とかいってくる。「いらない。」といってもかなりしつこい。なので道を聞くときは必ずおじさんに聞く事にしていた。
ビザンティン教会の床には綺麗なモザイクが残っていた。かわいらしい動物のモザイクが多い。上からかすかに砂がかかっているせいなのかシックな色あいだ。

ビザンティン教会から見えている王家の墓に行く。中に入ってみようかなーと見上げていると若いロバ使いが「向こうへ歩いて2分くらいにもうひとつ墓の跡があるよ。」という。
「ありがとう。ひとりで行くから。」というと
「わかった。またねー。」とあっさり向こうへいったので安心して彼が行った方へいくと
階段がでてきた。ベンチで少し休んでいると、さっきのロバ使いがやってきた。
「この階段を30分ほど上がると上からエル・ハズネを見下ろすポイントへいけるよ。」との事。
「ありがとう。でもひとりで行くから。」
というと「僕は今からこの崖の上にある家に帰るんだ。ついでだから一緒にロバに乗りなよ。」という。
「ベドウィン村に住んでないの?」と聞くと「うん。」という。
「まだ観光客いっぱいいるのに今日の仕事は終わりなの?」と聞くと「僕の仕事はヤギ追いで観光客相手の仕事はしていないんだ。」という。

「とにかくついてこないで。」といって階段を5分ほど上るとまたついてきた。
「乗りなよ。どうして僕のこと信用してくれないの?僕には日本人のガールフレンドがいるんだ。見て。」といいながら携帯画面を見せてくる。
画面には日本の若いかわいい女の子がロバにのっている写真が映し出されている。
「あなたが言いたい事はわかったけど、とにかく私はロバに乗る事は嫌いだしひとりが好きなの。ほっといて。」といくら言っても離れていかない。
「君は何歳なの?」と聞いてきたから「34歳!君より10歳くらい年上よ。結婚もしてるし!!!」というと年齢にちょっと引いていた。むかっ!
さすがに君も20代がお好みでしょ!とこれで去るかと思っていたら甘かった。
「僕は君の事、好きだ。」といいだした・・・。

なんかやばいと思い、人通りがあるところまで急いで階段を下りた。
女の子のひとり旅ってこんなんの連続なのかなー大変だと思った。

その後も彼は人通りのあるメインロードでも私をみつけては「本当に好きだ」などと言ってきた。なんだかそうこうしている内にペトラの興奮も冷めてきて、1日無我夢中で歩き続けていた疲れがでてきたので帰ることにした。
あといくつか気になっているところはあったけど、満足したので最後にエル・ハズネ前のベンチで見納めがてら休んでいた。
そしたらまた違うロバ使いが。「なんでこんなに早く帰るんだよー。」

勘弁してくれ。

ペトラにいる間に若いベドウィンから日本人の「ハヤシ マリ」さんの名前を何度も聞いた。何でもみんなの友達でベドウィンと結婚する7ヶ国語を話す20代後半の女性らしい。
なにかにつけ「日本人のガールフレンドがいるんだ。ハヤシマリっていうんだけどね~~~」から始まる。「ハヤシマリって有名だねぇー。その名前ほかの人もいってたよ。」
というと「それはまた違うハヤシマリだよぅ」という。
同姓同名の日本人がそうそうペトラで有名になるとは思えない・・・。


エル・ハズネを見て帰る途中、ここの管理で働いているおじさんにあう。
「日本人は好きだ。」というのでなぜかとたずねると
「クリーンだから。」という。「・・・クリーン?」こんな返しが来たのは初めてだったので笑いながら聞くと、以前誰かがポイ捨てした煙草を日本人が拾って捨てているのをみたらしい。素晴らしい日本人です。

ちょうど道もペースも同じだったから一緒に歩きながら入り口へ戻る。おじさんは遺跡のガイドをしながら歩いてくれた。
おじさんは昔は大きなホテルで働いていた人でこっちに転職したという。なのでベドウィンではないらしい。ベドウィンと話している内にベドウィンではなくペトラに関わっている人の話が聞きたかったから、ベドウィン村のことについてきいてみた。

「なんで、ベドウィン村を作ってみんなを移動させたの?」

「それはベドウィンの人々は洞窟内で火を起こすからダメージを与えてしまう。」

「彼らは移動しないといけなかったわけだけど、ベドウィンの人達は代償としてお金をもらったりしてるの?」

「彼らには家を与えた。それにペトラ内で働けるという仕事がある。」


なんか納得いくような、いかないような・・・・
だけど今、彼らには学校も病院もある。仕事もある。だけど以前のようにペトラが自分達の家なんだとは思えなくなった。どっちが幸せなことなんだかわからない。
若いベドウィン達はそれなりにお洒落して携帯を持っている。ベドウィンに魅せられた外国人と結婚する人も年々増えているという。
昔はお見合い結婚だったけど今のベドウィン達は恋愛結婚を望んでいる。

だけど、20歳代のベドウィンの男達がみんないっていたのは
「自由が好きだ」
という言葉。英語をペラペラに話し、今風な身なりをしても目の周りだけは黒く塗ってベドウィン風にしている。やはり血はベドウィンでいたいのかなと思った。


ひとりで行ったにも関わらず半分以上の時間はベドウィンと話していた気がする。
いろんな人と関わりひとりの時間も満喫できた。
たまには特派員になるのもいいもんだ。


asa

お疲れ様でしたアサ特派員

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