2011年7月16日土曜日

アフリカ大陸、モロッコ入国→マラケシュ→ひさびさの客引き


7月12日

朝5時半に起床。アサはまだ寝ている中ぼんやりしていると、寝坊をしたようで慌てて走ってくる乗客が次から次へと。自分達がもし飛行機に乗る日に寝坊をしたら顔面蒼白になるのだろう。たぶん、バタバタバタバタバタと布団たたきのような足音をたてて走ってくる彼らもきっとそう。世の中みんな大変な思いをしながら生きてるのだなぁ・・・・と何となく感じる。みんな頑張っているのである。

7時にイミグレーションを通り、9時55分の出発までのんびり。いよいよアフリカ大陸か。なんだかアフリカに入る事すら日常のひとコマ程度にしか感じなくなっている自分の感受性がうらめしい。あと4時間後に到着するモロッコでは「どこに泊まるのか」、「両替のレートは」「どこが見所なのか」「美味しいご飯は」などの下調べを何一つしていない。でもたぶん何とかなるのだろう。意外と繊細な僕の精神君は、不安がある時はそれを消すことができるような最善の方法がみつかりホッと安心するまでは僕の頭と心臓をドカドカと叩き続ける。

しかし今回はまったくそれが無い。たぶん僕の精神が僕の旅を安心して見てくれるようになってきたのだろう。

予定時刻を若干過ぎた頃に飛行機出発。飛行機の中で暇なのでパソコンを開くとウユニで一緒だったタニクンがくれたデータの中にモロッコ情報があることを発見。なんだか上手く出来ているな。ありがとうございますタニクン。だから結局情報を調べちゃいます。

情報を見て「とりあえず安宿だけ見つけ、あとは地元の人に聞こう」と決定する。

午後12時過ぎ。初めてのアフリカ大陸の国モロッコ到着。やっぱり新しい国に来るとまだまだドキドキする。僕の感受性もまだまだ消え去ってしまったわけではないようだ。

事前に思い描いていた「茶褐色の家にショールを被った女性」そのイメージの7割は正解だった。外れた3割というのは、わりとゆるい戒律のためかショールを被っていない女性が多くいることと、茶褐色の中に、細かくデザインされたスバラしいタイルがアクセントとなって輝いている事を知らなかった事。

さて、空港からは笑顔がチャーミングで親切なインフォメーションセンターなマドマーゼル達が教えてくれた19番のバスに乗り出発。20分ほどで運転手さんが降りる場所を教えてくれた。モロッコの公用語はアラビア語、そしてフランス語だが、英語を話す事が出来る人も多少はいるようだ。巡礼中にピエールやマークたちと話していたからいつのまにか道を聞くぐらいはフランス語で何となく出来るようになっていた。ありがとうフランスの友達たち。

宿は久々のアジアを思わせる宿だが、まぁ十分きれい。宿を決めた後は町を散策。迷路のような町のお土産やからは「日本人日本人~」と声が飛んでくる。今までアジア、中南米で慣れていたはずが、最近、ヨーロッパで人種の壁を感じない生活が続いていたのでギャップからか若干気に触る。まぁイライラまでは行かないけど「静かに放って置いて欲しいと・・・」数日たった時には「人懐っこい人々だ」と思えるようになっていたらいいな。

最近のお土産屋の流行は「やくざ!!」「びんぼうプライス」「そんなのかんけぇね~」「ワカチコワカチコ」「ナカムラ」「ホンダ」など。1年3ヶ月たっても変わらないもんだなぁ。

夜はクスクスと野菜のタジンを食べる。アフリカはご飯が不味いと聞いていたが、そんなことはないようだ。もしかしたらモロッコはアフリカカウントではなく中東カウントなんだろうか???他のアフリカの国でこのぐらいのご飯が食べれたら良いな。

それにしても夜の広場の活気は凄い。夏祭りのようだ。魚釣り感覚でコーラの1.5ℓペットボトルを釣っていたり、コブラを出してきたりと活気があってよい。しかし、今日は疲れているのでガツガツ見学せずに宿に帰ってゆっくり寝る。

hoso

2 件のコメント:

  1. マラケシュの広場、俺が行った時にはテロでレストランがぐちゃぐちゃだったけど、今はどうなってんのかなあ?

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  2. タニくんお久しぶりです。マラケシュの広場はすっかり元通りになったのだと思います。人々の密度と熱気で異様なカオスとなっていました。
    イメージ的にはゴミの無いインドです。人々も人懐っこく楽しいのですが暑い。暑苦しいです(笑)
    東北はどうですか?

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