5月16日(月) 巡礼24日目 14km
昨夜の約束どおり朝から古城へ車で連れて行ってくれる。
2時間かけて歩いた距離も15分ほど・・・なんだかあっという間すぎて切ない気持ちになる・・・僕らの昨日の頑張りっていったい・・・。
そして久々乗った車のスピードに頭がついていかず、2人とも15分で酔う・・・なんだか文明に翻弄される原始人に戻ってしまったようである。
古城に到着したのが朝8時前だったのと、月曜日だったため(フランスでは月曜日は多くの店がお休みのようです)古城周辺は静けさが漂っていた。
けっこう立派なお城・・・しかし、なんの事前情報もない為かどういう歴史的背景があるお城かはよくわからない。とりあえず古いものらしい。人がいない時間にみれて良かったと思う。
8時15分ごろ、近くの町に用事を済ませに行っていたガブリエルが戻ってきたため20分ほどの観光終了。飽きが来る手前のちょうど良い観光時間でよかった。今朝はかなり肌寒い。昨夜からアサは久々に薄手のジャンパーを着ているがそれでも寒いようである。車の温度計を見ると10℃、肌寒いが歩くには快適な気温である。
ガブリエルが昨日の宿と巡礼道の合流地点まで車で送ってくれるという。個人的には宿まで戻って歩き直したい所だが、アサは送迎希望。以前なら「じゃあ一人で戻ってそこから行く」と僕が言い始め「それなら私も行くわ・・・」とアサも渋々ついてくるパターンだったのだが、最近は僕が丸くなったのか、物事を厳密に捉えすぎないようになっている。良くも悪くも・・・・。
若い頃はもっと尖ったナイフのように(まぁ言うほど尖ってないですけど・・・)自分の決めた道を貫き通す部分があったのですが、さらに鋭さを増すためにナイフを研ぎ続けていたつもりが研ぎすぎていつの間にか丸くなっていたようです・・・・
なので今回は宿より1kmほど進んだところまでガブリエルに車で連れて行ってもらい、歩き始めました。そして歩き始めて15分、反対方向から現れたクリスチャンの出現により道を間違えたことに気がつく二人。神様とやらはそう簡単に楽はさせてくれないようです。
まぁそれでも早めにクリスチャンに会えたおかげで被害も最小限におさまったので良かったとしよう。敬虔なキリスト教の信者さん的には「神がクリスチャンに出会わせてくれた。サンキュー、マイゴッド!!」となるのだろうと、疑似体験としてその台詞を口にしてみるのだがやはり嘘臭い・・・なんだか2人とも顔が半ニヤケになって逆にキリストさんを小ばかにしているみたいなので、今後無理してキリスト教徒プレイをすることはやめておくことにする。
本日は道を間違えたにもかかわらずとっても楽ちんな道程です。2時間ほど歩いたらすでに残りは半分に。時間が有り余ったので休憩をたくさん取ろうとするのだが、肝心の休憩場所がない・・・渋々道端に腰を下ろし昼ごはんを食べ、再び歩き始めると2分後に絶好のピクニック場所を発見・・・まぁこんなものです・・・たぶん先ほどのキリスト教プレイの罰が当たったのでしょう。まぁ小ばかにするつもりは無かったのですけどね。まだ2時半のチェックインまで時間は存分に余っているので池の近くのピクニック場所で45分ほど昼寝する。怠惰な巡礼者です。
そんな感じでダラダラしても結局1時40分ごろに町に到着する。まだ早いので大好物の大型ショッピングセンターで物色&お買い物。アサが以前から目をつけていたボンヌママのデザートも大盤振る舞いで購入する。
買い物で時間を浪費したにもかかわらず2時40分euse到着。今日のジットはドネーション制のジット。「小さな赤ちゃんがいるから呼び鈴を押さずにノックしてね」と聞いていたので優しくノックすると、奥さん(ポリーナ)が迎えてくれる。ポリーナは英語がペラペラ(他にスペイン語、ドイツ語、もちろんフランス語も)旦那さんも4ヶ国語上手に話すことが出来る。彼らの頭の構造はどうなっているのでしょう・・・・羨ましい限りです。
宿は彼ら自身で最近改築したばかりらしく綺麗で嬉しい。
今日もシャワー、洗濯の後は町にくりだす。まずツーリストインフォメーションセンターで明日の宿の予約をすることに。しかし・・・5件かけてすべてNG・・・どこのジットも完全にフルです。仕方なく1ベッドだけ空いているといわれた宿でひとつずつベッドを確保することに。するとその謙虚な作戦が功を奏し「もう一つベッドを出してあげるわ」と言って頂ける。ありがとうございます。
しかし、これだけ毎日の宿の確保に苦労するようだとこの先不安になってくるなぁ・・・
その後、教会へ行き、ジットに帰るとフィジャックの町の寄付制ジットのジャック&マリーがやって来ていた。久々の再会を「ミラクルだ~」と喜んでもらえた。
その後、ガブリエル達もやってきてほとんど知っている人達ばかりになった。
夜ご飯は、豆のスープに始まり、麦をご飯のように炊いた(蒸した?)もの、白身魚を酢と香草で蒸したもの、という感じでした。全体的に味付けは薄め、なんとなくYOGAとか本格的にしている人達が好むよく言えばナチュラル、悪く言えばヌボ~っとした味でした。しかしYOGAでも修行僧でもどうやら、精神世界に住む人達は薄味を好む傾向にあるようです。理由はおそらく塩などの体に刺激を与えるようなもの(添加物なんてもってのほか!!)は害である。と考えているのでしょう。綺麗な体になることで「健やかな精神は健やかな身体に宿る」というものを実践しているような気がします。
健やかな精神を持たない僕らは、塩コショウで味付けしていただく。調味料万歳!!でも巡礼の成果か以前より薄味を好むようになってきた気がする。(単純に年のせいかも・・・)
オーナーのポリーナ夫婦も若いときに巡礼を行って人生が変わったそうである。(どうやら人生を変えるためには感受性の強い時期に何かを行うことが重要らしい)僕らは「Too old to cange」って気がしますが、まぁそれはそれで良い。
同じジットに泊まっていた30前後のフランス人の男の子はパリ近くの家から奇跡の泉で有名な「ルルド」まで徒歩で行ってきて現在歩いて帰る途中らしい。計4ヵ月半かかるらしい彼の旅のほとんどの夜は星空の下、寝袋一つで寝ているらしい。いろいろな旅があるものです。彼は胸をドンドンと叩きながら「彼ら(キリストさん、マリアさん)はここにいる。」と幸せそうな表情で話してくれました。
彼が行ってきた「ルルド」は遠い昔に女の子が水を汲んでいるときに聖母マリアが数回現れたという伝説がある場所。最近キリストさん自身より聖母マリアを奉っているところを多く見かけるようになってきた。場所によってはマリアさんに対する信仰の方がキリストさんより勝っている気さえする。
細かい事情は知らないので想像してみると(暇なので)キリストは偉いがその彼を培った彼女の母性の方が凄い(立派な野菜を作るには立派な土地が必要です)ということからでしょうか?確かに人間形成において幼児期(児童・少年期もかな?)の母親の役割は非常に大きい気がします。別に「女性は家にいるべきだ!!」とか「子育ては女性だけがするべきだ!!」などとは思いませんが、”母親から愛情をいっぱいもらった子供は総じて幸せな表情をしている”と経験的に感じています。(愛情と甘やかしは別)
まぁルルドからやや脱線してマリアさんについてでした。
夜は家の敷地にある小さな小屋でおごそかなミサを行いました。歌や懺悔が中心のものでフランス語が分からない僕らは今ひとつよくわかりませんでしたが、「感謝」や「懺悔」が彼らにとって明日を生きるための糧になっているのであればそれはきっと良いことなんだろうな。と思いました。
そうそう夜ご飯後のティータイムのときに「寄付制のジットってどういう風に成り立っているのか」を思いきって聞いてみた。すると大別して2種類の形態があるようで、一つ目は自分の家をジットとして運営し、宿泊者の寄付で運営していくというもの。
もう一つは雇われ管理人的なものでCONQUEという総本山的な場所に「私は~の町でジットを~週間の間運営して働きたい」という申請をし、許可された人が既存のジットで管理人として働くもののようだ。つまり僕らでも希望して、許可が出ればできるそうである。もし日本にいる人の中で興味がある人がいれば大歓迎だそうです(要フランス語、要キリスト教信仰だと思いますが)
今日も10時に就寝。
Hoso
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