7時15分起床。眠い・・・
寝不足+朝ごはん抜きの生活を長く続けていたため、お腹は全く減っていなかったが久々の朝ごはんなので、無理して食べる。
コーヒー、アラビアパン、そして昨日の残りのレバー。
メンバー的には十分豪華。
「久々の朝食は感動的だ!!朝食が食べる事が出来るなんて幸せだ!!」
と、感じると思っていたが・・・・・いくら待ち焦がれていた食べ物でも、お腹が減っていない時に食べたらありがたみは感じないようだ。(これはある種の哲学だな)
そして祭りを見に行く。
祭りといっても地元の学校の子供達が合奏をしながら町を練り歩くというもの。
イスラエルの学校ってどんなところだろう?と思っていたのだが、予想していたよりも日本に近い(この学校しか見ていないのではっきりとは言えないが)
先生が、集合をかけ、整列させ、前習え(イスラエルにもあるようです)させ、きれいに並ぶが、時間がたつと雑談しながらバラバラになり始める。
旅中に町で見かける乳幼児→学童期前半の子供の行動パターンはおおよそ世界中で変わりがなくきわめて猿に近い。
もちろんDNAの問題で見た目は違うし、反応にも若干の違いはある。しかし大きく異なってくるのは学童期後半から、青年期にかけてのようである。
つまり、まっとうに学校へ行き始め、人の話を聞くことが出来るようになったときから、大きく変化していくらしい。
だとすれば教育は人格形成における大切な要素。使い方を誤ればただの洗脳となってしまう。(使い方を誤らなくても洗脳といえば洗脳。良い洗脳か悪い洗脳の違いかな???)
だから、目指す「方向性」というものは非常に大切。
自分(教師側)の「方向性」が間違っていた時は悲劇である。
さてパレードでは背が低く丸々とよく肥えたマルオが可愛いのでついついマルオ中心に写真をとってしまう。
1時間パレードを見学し、その後旧市街へ。
インフォメーションセンターにてキブツに連絡したが。
「3時間後に来い。」とのこと。
ので、新市街へ行きカフェ休憩をすることに。
久々の昼間からのカフェだな。
まだ断食の習慣が抜けきらず何やら悪い事をしてるみたい。(禁酒後の酒のよう)
さらに時間があったので電車に乗て無意味に終点まで行き戻ってくる。(イスラエルの車窓からゴッコ)そ
してインフォメーションセンターへ戻ったのだが、結局この時間に電話しても連絡とれず。
また明日来ることに・・・・ちょっとこのキブツはルーズなのかもしれない。
アサが体調悪いので今日は観光を早めに切り上げ。宿に戻る。アサは昼寝。僕はカナダ人アダムに誘われ彼の部屋に。
どうやらイスラム教の重要な儀式の映像を見せてくれるらしい。
・・・・断食をしていたことでイスラム教に興味がある人間だと認識されたようだ。
アダムによるイスラム教(スーフィー派)の説明の要点。
・断食を1日行うことはアラーに対して1年祈り続けるだけの価値がある。
・イスラムの考えでは最後の審判の時に裁判官の右側に「自分が現世で行った良いこと、「左側に自分が現世で行った悪い事」が書かれており、これをを合わせて評価(天国行き、地獄行き等?)されるそうだ。
だけど、神(アラー)は人々を地獄に落としたいわけではなく、できれば皆を救いたいため現世でも我々に方向性を示している(モハマッドの予言を通してということかな?)。
それを理解し、方向性どおりに生きれば素敵な来世がみなに約束されるそうだ。
・「情けは人の為ならず」的な考え(人に情けをかけるのは、相手のためだけではなく、その善意が巡りめぐって自分に帰ってくるというもの)がイスラム教にもあるようで、バクシーシ(寄付)する意義もそこにあるようだ。巡りめぐって自分に帰ってくる。
・どの宗教でも、本質は正しかったはずなのに、気がつけば本質から少しずつずれてしまう。それを本質に再び戻すためにセイント(聖職者?)の存在がある。
・イスラム教といえば思い浮かべられるウサマ・ビンラディンなどは最近出てきたもので、イスラム教の中では異端的なもの。アダムが信じるスーフィー系はずっと昔からあるもの。
・本来の目的地(悟り、天国など)に辿り着くのであればどんな方法(宗教)でもよい。徒歩、自転車、電車、ロケット、様々な方法で向かう事が出来るが確かな力に導かれるものであれば目指すところは同じである(アプローチ方法が違うだけ)。
・エネルギーは天から受け取り大地へと流れていくものらしい、儀式中にみなで手をつなぎ上下に揺らす事でさらにその力の流れを増幅する事ができるようだが、スーフィーの中に回転して踊る儀式があるのだが、回転する理由はそのエネルギーをより強く受け取るためである。(原子力発電のように回転する事により一層得られる力は強くなる。)
・預言書にせよ、聖書にせよ書かれたもの以外に、人から人へと口頭で受け継がれたエナジーがある。
・宗教の大きな目的の一つは「エゴを無くす事」(仏教でも、キリスト教でも)だから断食は非常に重要な
行為。食べたいのに食べれない中もがき苦しむことによりエゴを外へ押し出すことができる。
・どの宗教でも良い、平和になる事が大切。
・スーフィーはイスラム教の中でも男女平等的考え。
・一人で祈るよりも複数で祈る事によりパワーがより増幅する。
・カナダでもイスラム教が増えている。平和的な。
・イスラム教はアラブ人の宗教というイメージがあったが、信者の4分の1がアラブ人、その他は、欧米
人、東南アジア人、インド人、中国人等のようである。
以上早口の英語でガンガン説明されたため僕の頭から記憶がところてんのように押し出されれてゆき残ったのはこの程度。(全くまとめられてないけど・・・・)
今回もだが、宗教を熱心に信じている人はキリスト教でもそうなのだが基本的には良い人が多く、宗教について語るときは実に活き活きと説明してくれる。
しかし・・・どうしても自分は彼らの説明をかなり客観的に聞いてしまう。
いい考えだと思っても自分は信者にはなれないようだ。冷めているのだろうか・・・ロジカルに共感できる部分は受け入れれるのだが、心から宗教を信じて飛び込んで行く気には全くならない。
見せてくれた儀式は、モハメッドの髪の毛(本物かどうかは不明)に向かいみんなで拝んでいた。よきパワーのある人の一部は持ち主と同じようにパワーがあるらしく。それに対して祈り、マントラやオームのように皆で共振することにより力が得られるらしい。
全体的に祈る時は真剣だが、最後には冗談をたくさんいれつつの儀式だった。でもアラビア語だったため理解できず。
その後はのんびり。
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