2012年3月10日土曜日

KILIMANJAROマラソン!!→日本人が世界に誇れる部分→素晴らしい仲間に感謝


2月26日

5時起床。


・・・・・・雨

昨夜3時ごろから眠る事も出来ないほどの豪雨と落雷があったようだ。(僕は熟睡して全く気がつかなかったけど)

レッドブルを飲み6時前に出発。
幸いにも雨が小雨になってきた。
しかし、雨の影響でぬかるんだ泥道を必死で歩き会場に到着すると”雨の影響で開始が30分延期された”とのこと。

雨のお陰で災難だな・・・と、思っていたが、実はこの雨が僕らに非常に追い風になっていることに気がついた。
と、いうのもタンザニア人(アフリカ人)は基本的に雨が降ると活動を停止する人が多い。
そのため、1000人ぐらいいるであろうと思っていたフルマラソンの参加者がなんと5~600人しかいないようだ。
これなら頑張って出来るだけ速いペースでゴールすればTシャツ、メダルをもらえる可能性がみなにある。
雲に隠れてキリマンジャロが見えないが、アフリカの灼熱太陽にさらされること無く走れると考えればそれもありがたい。


スタート5分前にアップテンポの音楽が流れ始めると、一斉に踊り始める参加者達。これがアフリカの人々の準備体操なのだろうか?

そして開始5秒前の合図、5、4、3、パーン!!
おいおい、あと2秒あったぞ・・・とアフリカらしい大雑把なスタート。

スタート直後から、ケニアのプロ選手らが一斉に飛び出す。というのもこの大会には1位に6000000T(30万円)の賞金がかかっているため。
タンザニアで言えば公務員半年分の給料にあたるお金が1日で手に入るのだから選手の目は必死である。
テレビでしかみたことのない世界の速さを間近で見ることが出来、一緒に走れたのは記念なんだろうな・・・などと思う暇も無く視界から消えていった。

なにせ彼らのスピードは1km3分ちょっとのペース。
つまり50m9秒のペースでスタートからゴールまで走り続けるのである。
途中に坂道があることを考えると人間業ではないな・・・

そんな彼らに引きずられるように開始後すぐは参加者みなが超ハイペース。
そんな中、スタートダッジュすることを完全に忘れてテレテレ走っていたのだが、「これはいかん!!彼らに逃げ切られたらメダルとTシャツが・・・」と練習でも走った事のない1km4分半ペース(フルマラソン3時間10分ペース)で前方の人々を追いかける。

すると、明らかにオーバーペースだった人々にあっという間に追いついてきた・・・が、このペースはやっぱり自分にもぜんぜん無理・・・なので、とりあえず1km5分ペース(フルマラソン3時間半)の小柄だがマラソン体型の欧米人(心の中で兄貴と呼ばせてもらっていた)にいけるところまでついていくことに決める。

半分の21kmまでこのペースを保つ事ができれば、そこから歩いても4時間ちょっとではゴールできるだろうと。

しかし・・・1km5分ペースは思ったよりも速い・・・しかもアップダウンが前半からしっかりとある。頭の中の計算通りに体が動いてくれるわけではないのである・・・

だが、後半からはかなりの坂道が待ち構えていると聞いているので前半に頑張らなければ。
とりあえず、一歩一歩だ!!と7km、8kmと、1kmごとにある看板を見ながら(後14km・・・あと13km・・・)と必死に走る。

そして8km地点では初の給水。
TVで見てるようにスムーズに水を受け取る事はなかなか難しく、なんだかバタバタした格好悪い水の受け取りになってしまったが、一応GET

しかし・・・このペースで走りながら水を飲むというのは非常に難しい・・・
ちょっとだけ口に入れようとするのだが、走っている振動で、顔にビッシャッ~!!とかかり、ようやく口に適量入っても、息を吐く瞬間だったりすると、むせてしまいそうになる・・・仕方がないのでここは一旦ペースを落として水を飲む事に。

水を飲み乾した後、慌てて兄貴を追いかける。
ちょうど兄貴がハイペースで走りすぎて脱落してきた美女の欧米人と合流し、ペースが落ちてきたところでなんとか追いつく。
その後、しばし美女も含めてゆっくりペースで進んでいたのだが、美女が脱落し、再びハイペースに・・・

ここは美女と共に走るべきか?とチラリと雑念が浮んだが、まだ10km地点・・・面白くもなんとも無い絵図らだが、もうしばらく兄貴についていくことに。
兄貴についていっているうちにいつの間にか先を走っていたモリコちゃん、クリちゃんなどを抜いていっており、いつの間にやら日本人メンバーのマラソン主力選手のヒロミくんなども抜いていっていた。
これは、やはりハイペースかな・・・など思いつつも、いや、今回のマラソンは兄貴と心中しようと、ハイペースを貫く事に。

今回のフルマラソンの前半コースは、まず10kmの少しアップダウンのある道を走り、折り返してスタート地点に戻り、ハーフの選手と同じ道である後半コースに突入すると言うものなのだが、前半の折り返しが終わった地点でいつの間にかこの大会のために走りこんできたメンバーを押さえ、日本人4位の位置に・・・

やはり、ちょっと早い気がする・・・しかし兄貴が・・・葛藤しながらも、一度兄貴に置いていかれたら一気に心が折れそうな気がしたのでこのペースを維持する事に。

14km、15km・・・と必死で着いていくが、まだ前半なのにも関わらず足の筋肉が悲鳴を上げてきた・・・どうするべきか・・・あと6km走れば、一応の目標通りにはなるのだが、その後、完走するまで走りきれる自身が無い・・・いや、これはただ心が折れかけているだけなのだろうか?など自問自答しつつ走り続けるが、結局17kmほどで諦める・・・


そして予想していた通りいったん離れるとあっという間に離されてしまった・・・あぁ・・兄貴・・・さようなら・・・。


兄貴に置いていかれ気持ちが折れて 歩きたくもなったが、ここが正念場だとペース落とすのを最低限にし、そのペースを維持しながら走っていくことに。

しかし・・・18km地点で靴紐が解ける・・・一旦止まると走り始めるのが難しくなる・・・21km地点まではこのまま放っておこうか?いや、このままあと3km気になりながら走るほうが体力の消耗につながるかもしれない・・・と悩んだ結果、”面倒な事は速めに解決した方がよい”と一旦止まり結びなおす・・・
やはり一度完全停止すると再び走るのが億劫になったが、なんとか気持ちを建て直し再び走り始める。

そして、なんとか中間地点であるスタート会場に戻ってきた。
この半分の時点で1時間50分弱。
前を行く兄貴より5分ほど遅れたが予定通りなんとか前半に貯金を作る事が出来たが、その代償があまりにも大きすぎた・・・あと半分走ることは確実に無理・・・足がそう訴えかけている。
自分の足とは長い付き合いなので、彼の言い分が正しい事も本能的にわかる。
あとは、この状況の中をどのように完走、いや完歩に持っていくかである。
完全に歩いてしまったら、5時間を越えてしまい、Tシャツの可能性が無くなってしまうかもしれない・・・ここまできたらなんとかTシャツとメダルを得て終わりたい!!

そのために浮んだ今回のプラン。


”急な上り坂は全て歩き、平地と下り坂は可能な限り走る”


そう決めてからの後半戦。
話に聞いていた通り後半戦の20kmからはひたすら登り坂が続く・・・ここは割り切って歩き続ける。そして坂が緩やかになったところで500mでも1kmでもよいから走る。
永遠に続くのではないかという坂道が辛いのはどうやら僕だけではなかったらしい。
その証拠に、歩いていても(早歩きだが)後ろから抜かれることは無く、逆に気力を振り絞って走り始めると何人もの参加者をぬくことが出来た。

手漕ぎの車椅子(手漕ぎ)でフルマラソンに参加している足の不自由な中年の女性人に出会ったので「Enjoy!!」と声をかけると、僕ら以上に苦しいであろう手漕ぎでの坂道の中、「I will & You too!!(ええ、楽しむわ!!あなたもね!!)」と投げキッスをしながら応えてくれた。
どんな状況でも楽しむ事が出来る、そんな強い人間になりたいものだ。

23km過ぎた辺りで折り返しをもどりゴールに近づいたハーフの選手達が戻ってきた。
先頭はやはりアフリカ勢。物凄いペースですれ違う。
そしてフルマラソンの先頭集団もやってきた、手元の時計では2時間程度、この坂道だらけの難コースを2時間20分程度で完走するペース・・・世界は広く、大きいと感じる。

その後、ハーフに参加していた日本人参加者とも少しずつすれ違う。
そしてアサともすれ違う。
表情を見ると、なんとか無事に完走できそうである。
こちらの方はもう完全にボロボロなのだが、ちょっとそれでは格好悪すぎるので一応そのタイミングでは走る。

「大丈夫?」と尋ねられたので正直に「駄目・・・すでに歩きながら・・・だけど何とかゴールするわ!!」と伝える。
その後もハーフに参加していたジュンさんともすれ違う。
ドドマでは一回しか走らなかったのに、ここまで走れていることが凄い。
知っている人が頑張っている姿に出会うとこちらも力が湧いてくる。

26km付近で日本人トップに立つ。
後半鬼のような上り坂が続きみんな満身創痍・・・これ以上無理だ・・・そう思う気持ちを押し殺し、走れるところだけは走る。
どうやら足の裏の皮も捲れているようで、ヒリヒリと痛む。しかしあと15kmの辛抱だと言い聞かせる。

とりあえずあと5km頑張れば下りが待っていると思いながら必死で進む。
道では声援をかけてくれる人々、「チーナ!!チーナ!!」と茶化してくる人々がいるが疲れてくると声援に応える余裕もなくなってくる・・・
給水で水と、コーラを受け取り一歩でも前に進むためのエネルギーと水分を補給する。
そして2時間56分で残り11kmの折り返し地点を迎える。

ここからは下り坂、ここが最後の走るチャンスとペースを一気に上げて走って下る。
残り10kmで3時間1分。残り10kmを1時間弱で走れば4時間を切る事が出来る。
ここは気力を振り絞って頑張ろう!!と、さらにペースを上げ、残り5kmで3時間30分。
しかし・・・限界・・・膝も足首もだが、前半のペースで足の裏の皮が更にめくれてきてそれが痛い・・・

頭の中で、「残り5kmだけだから!!」とビシビシ鞭を打つのだが、どうやら体は、いや心が限界の様子・・・

4時間以内は諦めても、ゴールは最低限しなければ!!と頑張って走る。そして無理なところは歩く・・・。

終盤、少年らが”お金をくれ!!”などと話しかけてくる。
遊び半分で声をかけてくるかれらを”煩わしい!!”と思うほど精神的にも疲弊してきた・・・
だけど、残りもう少し。

残り3kmの時点で急に交通量が増えてきた。
どうやら交通規制を解除したようだ。
最後の最後は車と、人、雑多に巻き込まれながらようやくスタジアムに戻ってきた。

会場に戻ると会場内のお客さんが暖かい拍手で迎えてくれた。
アナウンスも英語で、「新たなフルマラソン完走者が到着した!!」と迎えてくれ4時間7分ほどでゴール。

タイムとしては、4年ほど前にウルトラマラソンで112km走ったときの途中42・195km地点が3時間40分ぐらいだった事を考えると、哀しい程の体力の衰えっぷりだが、標高1000mそしてこの悲惨なアップダウン、体重増加(10kg)を考慮すれば自分自身頑張った方なのではないかと思う。
自分ひとりであれば、途中で走るのをやめたいと思ったと思うが、一緒に参加した多くの仲間の頑張り、日本で応援してくれている友達、そして今までに自分が出会ってきた僕以上にずっと頑張って生きていた人たちの存在がゴールまでたどり着かせてくれたのだと思う。

走った後に、まだ普通にみんなと会話できていた事を考えると、極限まで力を使い果たしたわけではなかったようだ。いつも自分のペースを守り極限までは自分を追い詰めないのが良くも悪くも自分の性格。
しかし、頑張る事、一生懸命生きる事を教えてくれた人々のため、そして今後自分が再び子供に関わる仕事に戻った時に子供たちに「頑張れ!!」と言えるようになるためにはこんな所で止まっているわけにはいかない、もう少し頑張らないとな。

そしてみなを待つ。
しばらくすると、共にフルマラソンに参加した日本人メンバーも少しずつとゴールへとやってきた。

険しい表情をし、足を引きづりながらゴールする人、満面の笑顔でゴールする人、6時間の制限時間直前に懸命のラストスパートでたどり着いたタロウさんは、ゴール後しばらくは、ほとんど意識も無い状態であった。気持ちでたどり着いたゴールにみな感動する。

そして終了時間の6時間が終わる・・・・
しかし、ここでタンザニアの時間のルーズさが吉と出る。
6時間を越えても、会場では音楽タイムが続き、マラソン打ち切りにはならない様子。

これならば・・・残り2名の日本人。
「彼らが、6時間を越えても最後まで走っていてくれれば・・・」と祈りを込めて待ち続ける一同。

そこへ、新たに1名の日本人が・・・。
彼も無事完走と認められ、しかも本日は今朝の雨で参加者が激減した事と、あまりの難コースにリタイヤが続出した事もあり、Tシャツとメダルがまだ数個残っていたようで彼にも授与される。

そして、残り1名。
あとは、エントリー直前でフルマラソン参加を決意したモリコちゃん。
みな彼女がやってくることを祈るようにして待つ。

「モリコなら何時間かかっても戻ってくるはずだ、それまでみんなで待とう!!」

そして待つこと10分ほど、会場の入り口にモリコちゃんの姿が・・・
大興奮のメンバーたち・・・そして6時間を越えても走り続けたモリコちゃんが無事涙のゴール。

結局参加した日本人20人みな完走することができた。
この”粘り強さと、諦めない心”は日本人が世界に誇ることのできる部分だ、と同じ日本人として嬉しくなった。

結局、今回のフルマラソン上位10人はすべてケニア人であったようだ。やはりケニアは強い。おそらく国のバックアップがタンザニアより進んでいるからであろう。

みなで写真撮影をした後、ご飯を食べに行く。
劇走の後で、フラフラのみなの姿は敬老会のようであった。
僕もやはり足の裏、指の間、脇、太腿、腹の部分が擦れて皮がめくれていた・・・
今回急遽、靴は買ったが、ズボンが無いので水着、上も普通のTシャツで参加したせいだろうが、無事完走できたのでこれぐらいはどうということはない。


キリマンジャロビールで乾杯。


ローカルレストランでの料理も飲み物もとてもおいしい。
みな笑顔だ。

17時のバスに乗りモリコちゃんの家にもどる。

そしてビールを少し飲み直しつつ楽しく話し21時就寝。
足が痛い。

でも楽しかったな。

1 件のコメント:

  1. 再度の連絡ありがとうございます。
    しかし、やはり力量不足ということで辞退させていただきます。
    素敵な本ができる事を楽しみにしています。

    返信削除