2012年3月24日土曜日

ダンス・ダンス・ダンス→難しいより簡単がいい→凝り性にアンチ依存が打ち勝つ


3月18日

9時起床も朝から珍しく停電・・・。
ので、ゴソゴソと本棚から村上春樹の”ダンス・ダンス・ダンス”を取り出して、朝ごはんを食べながら読む。

僕はのんびりとコーヒーかお酒を飲みながら読書する時間が好きなので、日本で生活している時にも月に2回は図書館に通い、ジャンルにこだわらず様々な本を読みあさっていた。

その結果、気づいたことは、ドストエフスキーなどの複雑で読み応えの古典本や、様々内容が充実している専門書よりも、難しい言葉をあまり使用しなくてもディテールをしっかり描写しているので情景が理解しやすい小説(村上春樹とか原書では読んだことがないが、人生における大事なことを単純でシンプルな言葉で示唆しているパウロコエーリョなど)が好きという結論になった。
その他にも伊坂幸太郎、東野圭吾、また夢枕獏の”神々の山嶺”遠藤周作の”深い河”なども好きなのだがどれも文章自体は簡単で読み易い。
難しい言葉を使った描写でいかにも”知識人向けです”的な本は自分が知識人でないためか苦手である。

読み易い本の中でも村上春樹をわりと好んで読むのは”自閉症的文学”と時折揶揄される村上春樹の世界に登場する人物に自分自身共感できる部分が多いからなのかもしれない。
共感できるということは自分自身にもその傾向があるのかもしれないが(多かれ少なかれ人はそれぞれに傾向は持っており、それは見る立場により、”好ましい傾向””好ましくない傾向”と評価されてしまうもだけど)まぁ、自分は自分らしくで良いかと感じてきた今日このごろ。

良くも悪くも「他の人から評価されるような生き方をしたい」から「人々にあまり迷惑をかけない範囲で自分(また自分に付随する人)が楽しめる生き方をしたい」という自分中心的な生き方に変わっている今日このごろ。この先どうなることやら。

「ダンス・ダンス・ダンス」の中で社会と自分の折り合いの付け方を”不格好でもいいからステップを刻み、音楽に合わせて踊りつけなければならない”という諦観的な表現がある。
自分の踊りと社会の奏でる音楽が一致していってくれたら良いなと思う。

そんなことを考えながらのんびり本を読み、お腹が減ったら小麦粉を水とこねてピザ生地を作り、フライパンで簡単に焼き、トマトソースと、大蒜、そして塩、胡椒でさっと味付けした玉ねぎを載せたピザもどきを食べる。

コーヒーを飲み、簡単に作ったものを食べながらの読書はやはり良い。
こんな時間を提供してくれたことに感謝。
結局夕方まで読書して本日終了。

18時頃にミツナガ君が食事に誘いに来てくれた(本日ネットが繋がらないため僕らは完全に音信不通状態になっていた)ので、ノリオ君とミユさんと一緒にレストランで食事。ダルエスサラームから帰ってきたばかりで疲れている状態でもボクらを気にかけ食事に誘ってくれる気持ちが嬉しい。
晩御飯
・ほうれん草とチーズのカレー
・鶏肉と生クリームのカレー
・ポテトフライマサラ味
・インド風焼きそば

明後日出発を決め、明日は皆で晩御飯を作って食べることに。
帰ってからアサは映画鑑賞。
僕はアフリカの歴史についての本を読みながらのんびり。素敵な時間である。

朝の停電の影響かインターネットが使えなくなったため、連絡を取らなければならないところとコンタクトが取れずに宿泊をもう一日伸ばさせてもらうことになってしまったが、おかげで、素敵な読書持つことができた。
また最近時間がある時にコツコツ進めていた、”オンラインゲームの三国志を行うことができなくても特に苦痛に感じることがない”ということを知れたのは収穫である。

僕は基本的に物事にはまり易い性格であるのだが、それと同時に物事に依存することをあまり好まないという性質があるのだ。今回は後者が勝ってくれてよかった。

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